じゃじゃ〜ん、今年一番の朗報!!
2002-01-10
『皆さんお久しぶりです、哲也です。
昨年はいろいろ有り難うございました。今年もどうぞ宜しくお願いします!』
6日の日記にも書きましたが、年末から年始にかけて身の周りであまり良い出来事がなく、挙句に一昨日には、私が山へ入る直前まで14年間勤めていた近くの開業医の先生が急逝される等、本当にさすがの私でも「どうなっているんだろう」と落ち込みかけていた今日この頃。
そんな中、8日に久し振りに木村哲也君=哲也から連絡がありました。最近全く居所の掴めなかった彼、「いろいろ話もあるので、9日に寄ります」というTELに、私は内心「どんな中味の話かな、良い話かな、それとも…」と少々不安になりました。
お昼ご飯を食べながら、あんな事こんな事をおしゃべりしました。
「それでゆかりさん、今年も朝日小屋にお世話になろうかと思って…」
じゃじゃ〜ん、ブルーな気持ちの続いていた私にとって、この春一番の朗報です!!
彼は1999年の秋、持病が悪化して山を降りる直前の亡き父に出会い、その時父から翌年アルバイトに来てくれるように頼まれたそうです。そして2000年の夏にはその約束を果たしてくれて、また2001年のシーズンは「新米番頭さん」として頑張ってくれました。
頼りない「新米管理人」を助けて「新米番頭さん」の哲也は、シーズンを通して体力的にも気持ちの面でも、それはそれは大変だったと思います。
彼を頼るしかない私は、出来ない事でも要求したり、疲れて投げやりな言葉の彼に「愛のビンタ」を振るった事件もありました(テレビでも放映済み)。「ここを乗り越えられなくては、人間としても一人前の男としても、大きくなれない」などと言った事も…。
何より、若いスタッフのみんなのチームワークの中心となってくれたのは哲也でしたし、誰にでも好かれる性格と周りを思いやる気持ちは、笑顔を大切にする朝日小屋にはなくてはならない存在でした。でもその分、きっと彼の負担はすごく大きかったのだと思います。
そんな数々の場面を良く乗り越えてくれた彼でしたが、彼には彼の思いや考えがあって、昨年山を降りる時には、多分2002年のシーズンは朝日小屋に来られないかもしれないと話していたのでした。哲也のこれからの人生を考えるとそれも仕方ないかなと、9割方諦めていた私でしたから、「今年も朝日小屋に来てくれる」という申し出には本当に大喜びです。
とにかく、これでひと安心。相変わらず頼りない管理人を助けて、一層逞しくなった哲也が朝日小屋で張り切ってくれる事と思います。
今シーズンも「母と息子のコンビ」で頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します!!
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