今だから話せる…「てらちゃん編!?」
2002-01-30
photo by furusaki
皆さんこんにちは、てらちゃんです。
ゆかりさんが僕の名前を度々この日記に登場させてくれるので、何だかかなり有名になってしまったような気がしていますが、シャイな自分としては、イメージだけが先行しているようで、とても恥ずかしいです。どうやらこの後も、僕に関するエピソードがまだまだ登場しそうで、戦々恐々としているのですが…(笑)。
さて、昨年末12月20日の「小屋番日記」に、「今だから話せる…今年一番の大失敗!!」というゆかりさんの話が載りましたが、今日は「今だから話せる」僕の話を聞いて下さい。
『先日、大学の登山サークルの先輩方と飲む機会がありました。そこで夏に朝日小屋でバイトしたという話題になり…。
実はサークルには、朝日小屋での苦い思い出があるのです。
僕が1年生の時、夏休みに上高地から親不知まで縦走しようという合宿がありました。双六岳、白馬岳と2度の台風に見舞われ部員13人全員フラフラ。白馬岳でテントは破れ、その後も朝日小屋に1日で来れず雪倉避難小屋に停滞し、雰囲気は最悪…。
ようやく朝日平の幕営地に着いたのですが、そこで大事件。
一部の部員が耐えられず、北又へ下山というか「脱走」。他の部員が「異変」に気づいたのは、もう夕飯を作ろうとした時でした。
「どこに消えたんだ!」ということになってしまい、ゆかりさんのお父さんには大変な迷惑をかけ、お世話になり、申し訳ないやら情けないやら…。
結局翌日、残りの部員も北又へ下山しました。
小屋で働くうちにこんな話はとてもとてもあってはならないし、口にすることもできないし、いつしか忘れていました。
今年の遭難騒ぎと五十歩百歩の事件ですね。
初めての話でした…。』
そんな「事件」を経験した僕が、なぜ大学生最後の夏休みのアルバイト先に「朝日小屋」を選んだのか、今でも不思議でなりません。
でも、小屋の生活を通じて、自分の弱い所を知る良い機会だったと思います。小屋のみんなに出会えたことが幸せです。一生モノの出会いだと思います。ナント言っても『朝日小屋ショック』の僕ですから…(笑)。
以上、「今だから話せる…てらちゃん編」でした。
今日のお話。。。。。。
今日は、「てらちゃんになりきって」書いてみました(笑)。
『 』の中は、彼が送ってくれたメールをそのまま引用してあります。他にも、落書ノートにあった彼の言葉を、了解の上掲載しました。
てらちゃん、有り難う。また登場して下さいネ。よろしく!!
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