冬の装い。。
2003-11-16
まるで、涸沢のような雰囲気ですネ。
一番左端の尖って見える奥に、山頂があります。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031116c.html
2003-11-16
まるで、涸沢のような雰囲気ですネ。
一番左端の尖って見える奥に、山頂があります。
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2003-11-17
ご報告が大変遅くなってしまいましたが、去る9日(日)朝日町一円で行なわれた朝日町民駅伝に「朝日岳方面遭対協チーム」が出場し、大健闘しました。
競技は、“ヒスイ海岸”としても名高い朝日町宮崎海岸のオートキャンプ場をスタートし、町総合体育館をゴールとする全6区間で争われました。
その中で「遭対協チーム」は、中学生や高校生たちの若者チームや町内の“足自慢”たちが走るクラブ対抗の部にエントリーして4位、総合でも20チーム中7位という成績で頑張りました。
当日は、
1区 … 谷口 和幸 (県警山岳警備隊・隊員)
2区 … 清水 直樹 (遭対協・救助隊員)
3区 … 古崎 富裕 (県警山岳警備隊・分隊長)
4区 … 宮川 哲朗 (N署勤務)
5区 … 藤岡 博和 (遭対協・救助隊員)
6区 … 前原 五輪雄 (朝日町役場・教育委員会)
という素晴らしいメンバーで、必勝を期して臨みました。
1区の谷口隊員は、この一年で走り込みを通じて体重をグッと落とし、最近はかなり絞り込まれた体格に。自信を持ってスタート地点に立ち、上位で後続にバトンタッチしました。
2区の清水隊員は、並み居る強豪の中でも大健闘。救助隊メンバーの中でも、元々“山の実力”を備えている彼だけに、山だけでなくロードを走る力も「さすが!」でした。
3区の古崎分隊長。若干「キツそう…」ではありましたが、奥様と二人の可愛い子ども達の声援に後押しされて、上り坂の大変な区間を良く踏ん張ってバトンを繋ぎました。
4区の宮川さん。今秋には、古崎分隊長や谷口隊員他N署の皆さんと一緒に朝日岳登山に来て下さいました。元々“ランナー”だというだけあって、実力はピカイチ。成績は、堂々の『区間1位』でした!!
5区の藤岡隊員。この日記の中でも、「朝日岳方面遭対協のホープ」として5月の訓練の記事で紹介している彼。フリークライミングの実力はかなりなのですが、ロードでは少々苦しみながらも果敢に走り抜けてくれました。
そして6区の前原先生。昨年は「朝日小屋チーム」にエントリーして下さいましたが、今年は「遭対協チーム」のアンカーとして大活躍。元々高校の陸上部顧問をしておられて、名前の由来も“オリンピック(五輪)の年に生まれたから”付けられたというだけあって、走りたくて走りたくてしょうがないといった様子。現役中学生や地区代表などの強豪揃いの最終区で、見事な3人抜き!!
スタートから小雨が降り出し肌寒い悪コンディションの中、怪我やリタイアもなく、目標タイムもクリアし、また昨年を上回る好成績に「遭対協チーム」の実力はさすがでした。サポートとして車で走り回った大和隊員他、“週末従業員”のひろみちゃん、奥様や子ども達の力強い応援も利いていたのではないかと思います。
来年も更なる飛躍を、と期待しています!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031117a.html
2003-11-19
上の写真は、10月25〜26日の栂海山荘小屋閉めに参加した孝太が写してくれたものです。当日私は、遭対協の秋山訓練に参加していましたので、栂海山荘の小屋閉めには孝太が行っていました。
さて皆さん、“山と渓谷”12月号をご覧になりましたか!?
276ページ、『おやまのお・や・つ』というコーナーで、あの銘菓『栂海新道』が紹介されているのです!!
このコーナーは、山に行ったら必ず帰りに食べるおやつや、アプローチの途中に必ず立ち寄って買っていくおやつなど、「あなたのとっておきの・山のおやつ」を紹介する欄だそうです。(今回が、最終回!)
以前からこの日記の中でも紹介していますが、この『栂海新道』を作っているのは、(ホンモノの)栂海新道の海側の玄関口・新潟県青海町のJR青海駅前にある長野屋さんというお菓子屋さん。奥様のひとみさんとは私も何度も栂海新道を一緒に歩いていますし、また今年の5月にはご主人の公博さんに船に乗せてもらって“イカ釣り”に挑戦した私です。
肝心のお菓子の紹介その他は、本を読んでいただくとして…。
そうなんです、『栂海新道』は朝日小屋で売っているんですョ!!
朝日小屋においでになった方なら、受付横に並べてある『栂海新道』を実際に見られた方もいらっしゃるでしょう。そして、「栂海新道を歩いた記念に!」と買っていかれたお客様も。中には、下山後わざわざ長野屋さんのお店に立ち寄って「知人にお土産として配りたいので」と大量購入していかれる方たちもいらっしゃるとか。
やはり、北アルプスの最北端・朝日岳と日本海を繋ぐ栂海新道のルートを歩くのは、登山者の皆さんにとって“憧れ”のようですネ。「長い間の夢でした!」とおっしゃる方もいらっしゃいます。そして「お菓子は、栂海新道の途中で食べます!」という方も。
銘菓『栂海新道』は、山のおやつ、特に行動食としても申し分ないと思います。また、栂海新道を歩いた自分への記念やご褒美として、お土産にも最適です。私も時々知人への進物などに使わせてもらいます。
ひとつひとつ時間をかけた手作りで、とても丁寧に仕上げてある上品なお菓子です。何よりも、栂海新道をこよなく愛している地元のお菓子屋さんご夫妻の深い愛情と温かいお人柄が伝わってくる一品だと思います。
それから、長野屋さんで作っている「越後名物・笹団子」。これがまた美味しい!! こちらも、笹の風味が豊かで山行中でも保存が利くので、行動食にお薦めです。
ぜひ一度、味わってみてくださいネ。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031119a.html
2003-11-21
「表銀座」「裏銀座」…えっ、何のこと!?
管理人になるまでは朝日岳周辺しか知らず、「北アルプス縦走」とは無縁だった私。北アルプスに「銀座」があって(東京の銀座へも行ったことが無いのに・苦笑)、しかも“裏”も“表”もあるなんて…。でも、誰が名付けたのかしら??。
「ゆかりさん、烏帽子へ行くんですけど、行きますか?」
写真家の森下 恭さんにそう言って誘われても、「はぁ。。。烏帽子岳。。。」
でも何処でもと言ったら語弊があるけれど、今の私の実力で行ける山で、ちゃんとしたガイドさんに同行してもらえるのなら、今は何処の山へでも行ってみたい…少々“ミーハー”な考えながら、初冬の2,600mの北アルプスに連れて行ってもらうことになりました。
「何処から登るの? えぇ!、“ブナ立尾根”?? おいおい、北アルプス3大急登だョ。大丈夫か!?」
「今の時期だぜ、大丈夫かい!? お前は“山の怖さ”を知らないから。。。」
行こうと決めたその決心がぐらっと揺れるような、そんな忠告を周りから聞かされながらも「何度か一緒に歩いた森下さんが大丈夫だと言ってくれるのだから、何とかなるだろう。都合が悪かったら、引き返せばいいんだから」
不安もありながら、当日まで私なりにガイドブックを読み、体調を整え、持ち物の点検などに余念がありませんでした。
今回は森下さんの写真撮影が目的でしたので、当初は11月3日からの山行予定でしたが、新雪が降った後の烏帽子岳に登るため、週間天気予報を睨みながら10月30日から2泊3日で入山することになりました。
10月29日は、夕方森下さんと大町で待ち合わせをして食料などの買出しをした後、葛温泉七倉の七倉山荘に宿泊、翌日に備えました。高瀬ダムまではタクシーで入ることになりましたが、今の時期は東京電力が管理しているゲートが8時にならないと開かないというので、29日は「初めての裏銀座」入山に備えてゆっくり休みました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031121a.html
2003-11-21
10月30日。降雪の予報は大ハズレで、どこまでも青空が広がる秋晴れ。
となると…新雪で水を作るという計画がダメになったため、結局は3日間の二人分の水を7リットル近く担ぎ上げることに。2泊3日の山行で冬期小屋に泊まるわけだから、いくら担げない私でも全部を森下さんに持ってもらうわけにはいかず、シュラフの他に軽めの食料やらを持って、やっぱりそれなりの荷物になりました。
「初めての山」というのは、やはりかなりの緊張感があります。それでも、登り口にあった“裏銀座コース・入口”の看板に、何故かえらく感激してしまった私。
「北アルプス3大急登」…考えてみれば、01年には急登で名高い“笠新道”も登っているわけだから、何とかなるだろうと自分に言い聞かせながらの登り始めとなりました。
いつもながら「ゆっくり、ゆっくり」と呪文のように繰り返しながら、ペースを守って歩きます。北又からの恵振山の急坂と比べてどうかしら、これが3大急登なんだ、そう考えながら登っていくと案外知らないうちに高度を稼いでいけたように思います。
すでに葉を落とした冬枯れのブナの木立ちの中を行きますが、ふっと気付くといつの間にか辺りは針葉樹林帯に代わっています。途中からは唐沢岳や七倉岳がよく見えるようになり、しばらく行くとダケカンバの幹が聳えてきて青空に枝を伸ばしていました。
稜線が近づくようになると、登山道にも雪が付いていました。最初の軽快なペースもそろそろダウンしそうだな、最後まで持つだろうかと思い始めた頃、尾根道を登りきって稜線に上がることが出来ました。
途中で昼食をとっても、濁沢の登り口からの所要時間は約4時間半少々。遅足の私でも、ほぼコースタイム通りでした。
「ひと休みしたら、南沢岳へ行って来ましょう」
「はぁ。。。」
いつもだったら小屋へ着けばその日の行動は終了するのですが、今回は撮影が目的の森下さんでしたから、夕照の時間に合わせて南沢岳まで往復するとのこと。
辿り着いた烏帽子小屋の冬期小屋では、シュラフを広げたり食器を出したり灯かりの準備をしたりして、後はヘッドランプと雨具や防寒具などを用意して南沢岳へ向かうことになりました。
快晴とはいえ、10月末の2,600mを超える北アルプス。数日前に降ったであろう積雪は、稜線では深い所で20cm以上あり、また午後3時を過ぎていましたから日陰では雪もガチガチに凍っていました。
「烏帽子岳の頂上はどうしますか?」…雪の無い時期なら、クサリの連続する登下降も大丈夫だと思いますが、雪が付き気温もグッと下がってきた今回は、烏帽子岳山頂は諦めることに。
陽が傾き始めた頃、南沢岳に到着しました。早速、森下さんは撮影開始。
陽が沈む直前、夕照に映える七倉岳、船窪岳、そして針ノ木岳、遠く連なる北アルプス・後立山連峰の峰々。はるか遠くには白馬岳までが確認することが出来ました。
そして、黒部湖を挟んでは立山連峰が連なります。赤牛岳の向こうには薬師岳、そして立山・剱岳の山並み。
私も寒さで震えながら、沈んでいく夕陽とどこまでも連なる山々にいつまでも見入っていました。
烏帽子小屋までの帰路は、陽も沈んでしまってさすがに真っ暗。片道約1時間半近い道のりは、少しの月明かりとヘッドランプを頼りの行動となりましたが、6時半近く無事に小屋に戻りました。
初めての「冬期小屋」は思ったよりなかなか快適で、夕食は例によって森下さん得意のキムチ鍋。重いのであまり持てなかったアルコールですが、少々の梅酒を口にし、キムチ鍋で冷え切った身体を温めて、早々シュラフにもぐり込みました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031121b.html
2003-11-22
「明日、明後日とこのままお天気が持ちそうなので、野口五郎岳へ行きましょう」
「はぁ。。。私でも行けますか。。。」
「ダメだったら、引き返します」
夏だったら快適な稜線歩きも、雪が付いて強い風が吹く高山では、ガイド役の森下さんの的確な判断にある程度は任せるとしても、一体明日はどんな山でどんな危険な目が待っているか分からず絶対大丈夫とは言い切れない中で、不安感を完全に拭い去れずに烏帽子小屋の夜を過ごした私です。
森下さんは、日の出を待って再び昨日の南沢岳へ撮影に出発。午前中には帰るから、出発は昼食後すぐと決まりました。
私は、野口五郎岳行きを前にあまり疲労しない方が良いのではという考えから、午前中は“沈殿”することに。お天気も良く、シュラフに入ったままゴロゴロしたり、だあれもいない小屋の周りをウロウロしてみたりして半日過ごしました。
森下さんが戻られて、軽く昼食を取ってから出発となりました。
烏帽子小屋から三ッ岳までの砂礫の稜線歩きは、なかなか快適でした。雲も無く、ずっと燕岳から大天井岳への連なりが見え「今歩いているのが“裏”、あれが“表”ねぇ…」などと景色を楽しみながらの稜線漫歩が続きました。途中、白く雪を戴いた槍ヶ岳の勇姿を大きく確認することができ、嬉しかったです。
しかし、順調に進んだ稜線歩きも、三ッ岳のピークの黒部側を巻く時になって雰囲気が一転しました。
岩稜と白砂の山。急勾配で切れ落ちている斜面に付いている登山道では、大して積もっているわけでもない雪が、ガチンガチンに凍っています。キックステップなど出来るようなモノではありません。
森下さんがピッケルで、まるで氷のような雪をひと足毎にカッティングし、靴のつま先がやっと掛かるくらいのステップを切ってくれて、岩に掴まり、慎重にバランスを取りながら注意深く一歩一歩進みました。
『ここを滑り落ちたら、死ぬかもしれない。。。』
そんな恐怖心の中、「ゆかりは、未だ山の怖さを知らない」と誰かがいった言葉を頭の隅に思い浮かべながら、神経を集中して通り抜けました。
「ここを通過したら、後は大丈夫です」…森下さんにそう言われながら、もう少しもう少しと歩を進めると、右手前方に連なる水晶岳がぐっと大きく迫って来て、また野口五郎岳への確かな道のりも見えて段々と近づいて来ました。
野口五郎岳に着いた頃は、そろそろ陽が沈み始めようかという時分。元々いつでも強い風が吹くという野口五郎小屋付近なのだそうですが、もの凄い強風が吹いていました。
「頂上はどうします?」
「はぁ。。。山頂は、この次にします」
「それじゃぁ、今回の山行は“烏帽子岳・野口五郎岳”ではなく、両方のピークを踏んでいないんだから、“烏帽子小屋・野口五郎小屋”ですネ」
日没近くに小屋に着いて、しばらく続いた恐怖と緊張感から解放された安堵感、また寒さもあったからでしょうか、またも軟弱な言葉を返してしまった私です。(苦笑)
野口五郎小屋も、その一部が冬期小屋として開放されています。今日も、森下さんと私の他には、誰も利用者はナシ。前日の烏帽子小屋に比べると、少し風の音が大きくはありましたが、それでも快適な冬期小屋には違いありませんでした。
明日またあの三ッ岳のトラバースを通過しなくてはいけないのかと思うと、なんとなく嫌な気分も。「まさか、今日以上に困難だということにならないだろうか」なんていう思いも過ぎりましたが、「その時はその時か、何とかなるさ!」と半ば諦めて、簡単に夕食を済ませた後休みました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031122a.html
2003-11-22
11月1日、野口五郎小屋付近は強風が吹いているものの、天候は時々薄陽が射す曇り空。午前7時過ぎ、小屋を出発しました。
心配した三ッ岳の斜面のトラバースは、緊張の連続だった前日より歩けないということはなく、慎重を要したものの無事に通過することが出来ました。
その後は、再び立山連峰、後立山連峰の峰々の眺めを楽しみながら、午前中には烏帽子小屋に到着。小屋の前で昼食を取り、ブナ立尾根を下りました。
入山の時にはあまり急登であるという感じはしなかったのですが、割と得意な“下り”であったにも関わらず、登山口が近付くにつれて落ち葉に足をすくわれたりしながら、「私、こんな急坂を登って来たのかなぁ。。。」と言いながらの帰路となりました。
しかし、高瀬ダム〜七倉までのタクシーが10月いっぱいで運行終了していたため、最後の最後で約5キロの道のりを歩かなければいけませんでした。
ようやく七倉山荘に到着。
それから、烏帽子小屋と野口五郎小屋を経営しておられる高瀬館へ冬期小屋を利用させて頂いたご挨拶に伺い、お風呂に入って山行の疲れを癒した後、解散となりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031122b.html
2003-11-22
南沢岳から見た針ノ木岳辺り、左には白馬岳も 03.10.30
初めて行った「北アルプス・裏銀座」
今更言うのもヘンな話だが、山が、峰が、連なっている様がとてもよく分かった。
…実感できた。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/11/d20031122c.html