北アルプス 朝日小屋

朝日小屋 TEL 080-2962-4639(衛星電話)
北又小屋 TEL 0765-84-8809
開設期間外 朝日小屋連絡所
 〒939-0711 富山県下新川郡朝日町笹川 清水ゆかり
 TEL & FAX 0765-83-2318

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捜索活動「ウラ話」・その1…“警備隊”編

2003-08-22

夕焼け前   遭難現場近くの初雪山などの山並み

 夕焼け前   遭難現場近くの初雪山などの山並み

 今回の朝日岳周辺の沢での遭難では、行方不明者が無事自力下山し、捜索活動は終了しました。関係各方面の皆さんの多大な御尽力に、小屋の管理人としても感謝しているところです。

 今回の捜索活動に当たっては、県警山岳警備隊と朝日岳方面遭対協の救助隊が陸と空からの懸命の捜索を3日間に亘って続けました。
 その様子を全部お話することは出来ませんが、現場と関係各機関との無線中継を行なっていた朝日小屋でも、現場最前線での状況が逐一届いていた分、緊迫した雰囲気が漂っていました。

 今回は、21日午後2時20分頃に遭難者本人が北又小屋に自力で辿り着いたのですが、その約1時間前の段階では空からも陸からも行方不明者は発見できず、午後からのヘリコプターの捜索範囲をどの辺りに絞るかが検討され始めていました。
 (ヘリからの捜索を遭難者本人は知っていたそうですが、残念ながら、手を振ったり合図をしたりする状況にはなかったようです)
 遭難現場付近に詳しい遭対協の谷口邦夫隊長が、役場で指揮に当たって居られたわけですが、隊長自らヘリコプターに乗り込んで捜索を開始しようとしていた矢先の「無事、自力下山」でした。
 
 さて、行方不明者の方が病院に搬送され、テレビでは捜索活動が終了したというニュースが流れていたその頃、まだまだ“苦闘”は続いていたのでした。
 
 実は…

 所轄の入善署によって、北又小屋へ辿り着いたのが遭難者本人と確認され、捜索隊の引き上げが指示された時、古崎分隊長と谷 靖夫隊員は北又谷出合い近くの「吹沢谷」の中でした。警備隊の谷口隊員も「黒岩谷上部」を捜索中。
 その後の予定では、ヘリコプターで捜索隊員のピックアップがされ、夕方までには下界に戻って、遭難者の無事とそれぞれの労をねぎらってホッとしているはずだったのですが。。。

 夕方には現場付近を濃いガスが覆い、ヘリコプターが進入出来なくなってしまいました。
 警備隊の古崎分隊長と谷口隊員はヘリコプターに搭乗し損ねてしまい、B.C.を張っていた黒岩平付近へ戻って、その晩は一度撤収したテントでもうひと晩泊まらなければならないハメに。。。

 古崎 「お〜い、何処だ!?」
 谷口 「こっちです!」
 古崎 「何処よ!?」
 谷口 「今、迎えに行きます!」
 谷口 「真っ直ぐに登って下さい!」
 古崎 「濃いガスで、足元しか見えん!」
 谷口 「あッ、水溜りにハマリマシタ!!」  
  (後で聞くと、谷口さんは太腿までハマッテしまって、エライことだったそうです)
 谷口 「見えました!!」
 古崎 「全然、見えん。。。」
 谷口 「声が聞こえます!」
 古崎 「あぁ、離れて行った。。。」

 先にB.C.に戻った谷口隊員が、濃いガスと闇夜で一寸先も見えない中、夜7時を過ぎてやっと沢から稜線近くへ上がって来た古崎分隊長を迎えに出た時の様子です。
 (この無線でのやり取りの他にも、二人は大声で叫び合っていたそうです)
 両名が合流するまで、約20分。そして無事B.C.に戻ったのは午後7時35分。
 その間、無線を全て傍受していた朝日小屋ではハラハラドキドキ。「只今、両名合流しました!」との無線を聞いて、思わず小屋のアルバイトみんなから拍手が起こったくらいです。
 闇夜の濃いガスの中の怖さも知っているだけに、「まさか、古崎さんや谷口さんに限って二重遭難なんてことは…」と思いつつも、やっぱり少し心配しました。

 そして今朝9時半過ぎ、古崎分隊長と谷口隊員が入善署に戻られて、ようやく今回の捜索活動は全て終了したのでした。

 古崎分隊長と行動していた谷 靖夫隊員からも少し話しを聞いたのですが、丸3日間、一体遭難者は何処で迷ったのか、あるいはどういう状況になっているのか、安否を気遣いながら、自らも危険な目に遭いながらの捜索活動だったようです。
 谷口隊員にあっては、黒岩谷上部での必死の「ヤブこぎ」もあったようです。無線を通して「ハーッハーッ。。ゼーッゼーッ。。」という息遣いが聞こえてきました。
 
 現場に出動した皆さんにあっては、いつもながらの大変な、現場での捜索活動。
 そして関係各機関においては、迅速かつ的確な状況判断と諸々の準備と作業。

 いろいろありましたが…とにかく、遭難者の方が無事で何よりでした!!
 皆様、本当にご苦労様でした!!