29年前の想い出と、昔の小屋…
2001-05-09
今日はまるで梅雨のようなお天気。朝方濃い霧が辺りをつつみ、まるで山の上にいるような雰囲気でした。
昨日も何人もの方からメールを頂いたのですが、その中で思いもかけない方からのメールに驚きました。朝日町のご出身で、今は転勤で仙台にお住まいだというNさんです。私が中学3年生、夏休みに「アルバイトの真似事」をした時に朝日小屋でご一緒したのですが、その後一度もお会いすることもなく、朝日町関連のHPで見て「もしかしたら…」とメールを送って下さいました。
当時の管理人は父の前任のKさんでした。まさかその次の年に父が管理人になるなど夢にも思っていない私は、大好きな山でひと夏を過ごせる事がうれしくて、何人ものお兄さんやお姉さん達に可愛がられて働かせてもらったのを覚えています。
もちろん現在のような立派な小屋ではありませんでしたが、その後の何年かを父と一緒に過ごした小屋です。…今見取り図を描かせてもすぐに思い出して全部描ける位、隅から隅まで覚えているから本当に不思議ですね。
部屋数は大きい部屋が2、小さい部屋が3、「カイコ棚」と呼ばれる仕切りをした部屋もありました。食堂の定員は32名、最高200人以上の夕食を出した記憶があります。(最後のお客さんの夕食はたしか8時過ぎていたはず)トイレはもちろん今のような水洗式ではなく、まあその管理やウラ話のネタはつきません。
アルバイト部屋などはまるで「タコ部屋」のように狭くて薄暗い、屋根裏だから高さもなくてすぐに頭をぶつける、台所の真上なのでオチオチ寝ていられない、おまけにお客さんの部屋とベニヤ一枚で仕切られているのでちょっと話していると「うるさいですョ!」と注意される始末…、でもなんと楽しかったことか。あの時代があったからこそ、管理人を引き受ける決心もついたのかもしれません。
Nさんのメールには、その頃の思い出が綴ってありました。小屋の裏では、ドラム缶を切って下から薪を焚くようにして「お風呂」も作ってありました。今考えると私も入ったんだ、周りに何も遮る物もなかったはずなのに…!!。あの頃はお風呂なんてそんなに頻繁に沸かしてもらえず、多分アルバイト達の自衛策だったのだと思いますが、○歳になった今なら余計恥ずかしいですね、ハ・ハ・ハ…。
お兄さんやお姉さんと一緒に満天の星空に魅せられた当時の中学生は、それから29年の歳月を経て、今年から小屋番をすることになりました。今度は登山者の皆さんの心に残る山行を演出する側で。…Nさん、山の上でお待ちしています。
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