朝日岳方面遭対協の春山訓練・一日目
2004-03-15
13(土)・14日(日)の両日、朝日岳方面遭対協の春山訓練が大地山(1,167m)〜初雪山(1,610m)一帯で行われました。
今回は、富山県警山岳警備隊から古崎分隊長と谷口隊員、朝日岳方面遭対協から谷口邦夫隊長以下4名の隊員、そして理事の私、同行を許可された写真家の森下 恭さんの8名が参加しました。
13日朝役場前に集合、ビデオにて雪崩のメカニズムについての事前学習をし、各自最新式のビーコンを装着しました。共同装備を分配するなどの準備をした後、小川ダムへと車で移動しました。
今回のルートは“夢創塾”からのコースではなく、小川ダムから相又谷を入った先の杉林途中から取り付きました。
未だ雪の残る杉林の中をほぼ直登に上がります。急登には違いありませんでしたが、以前何度か登ったことのある“夢創塾”からの激しい急坂に比べると、登り始めの林道で少し足慣らしができる分だけ楽かなぁと思いながらも、他の皆さんにあまり遅れないように付いて行くのが精一杯です。
標高800mを少し過ぎた辺りで、“夢創塾”からの登山道と合流しました。
13日は「晴れのち、夜になって雨」の予報でした。午前中は時折青空も見えるまずまずのお天気でしたが、正午近くになって小雪がちらちらと舞い出しました。「ちょっと、天気の崩れが早いなぁ」「未だもう少し持つだろう」と話しているうち、みるみる天気が崩れてきました。
昼食をとる頃には急激に天候が悪化し、もう周りの景色は全く見えないようなホワイトアウト状態に。細い谷筋に迷い込んだりしないように、地図とコンパスで慎重にルートを確認しながら帰路の為にマーキングをし、あまり長い休憩も取らないようにして歩きました。
小さなアップダウンを繰り返しながら、大地山へと向かいます。翌日には初雪山までどうしても行こうという計画がありましたので、全員の体調や所用時間などを計算しながらも、とにかく大地山を越えて行けるところまで行き適当なテン場を見つけようということになりました。
大地山山頂を越えた直下まで来ると、もはや10m先もよく見えないような状態です。無理をしてでも翌日のことを考えて、夕方まで行動し当初予定した1,247m付近のテン場を目指すか。それとも一寸先の様子も分からない中で雪庇を踏み抜く危険性もあるので、今日はここまでの行動とし早めに就寝し翌朝の出発に備えるか、全員で協議しました。
「今日は、此処まで!」…そう決めてからテントの設営、積雪期の救助訓練、救助用具の使い方の講習等などを行ない、夕方近くなって気温も急激に下がり始めましたので、早々とテントに入り『狭いながらも、楽しい…』となりました。
少々頑張った(!?)私は、早々と“沈没!”
「明日は、どうしても初雪山まで行きたい!!」…そんなことを考えながら、どうやら夕方6時半頃にはもう夢の中だったような気がします。
夜中にかなり激しく強い風が吹きました。頑丈にブロックを積んだりしてテント場を整備したのですが、テントの一番隅っこに寝ていた私は、強風でテントが飛ばされるのではないかと思うくらいでした。ご機嫌で寝入っている皆さんはどうやら気付かなかったようなのが、うらやましい(!?)・苦笑。
3月中旬の春山とはいえ、ホワイトアウトのような条件の中での行動。
気温が下がり、前髪がバリバリに凍りつく位の悪天候。
冬山に近い状態での1,000mを越える山での生活。
…救助隊員の皆さんの、真剣な訓練が続きました。
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