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「夏」の終わりを感じて。。。
2003-08-17
みんなで食べた手作りケーキ
左・孝太のかぼちゃのタルト 右・はるかの白桃のショートケーキ
今日は、哲也・祥慈・ひとほ・はるか(二女)・かなえ(三女)・結(四女)と、“週末従業員”の由起子さんが冷たい雨の中を下山。
朝日小屋の繁忙期は、ホンのひと月。みんなが仲良くなって、気心が知れてきたと思ったらもうお別れです。
今日は朝の掃除が終わってから、孝太とはるかの手作りケーキで“コーヒータイム”、その後全員で記念撮影をしたり、「人間ピラミッド」をやってみたり、「社長賞争奪・大腕相撲大会」に興じてみたり…と、短い時間で別れを惜しむように楽しい時を過ごしました。
雨風の中、帰って行く7人を見送りながら、「夏」の終わりが近づいた淋しさを感じました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030817a.html
沢登りの登山者が、行方不明に…
2003-08-20
本当に久し振り、今日の夕焼け
掲示板にも情報が載っていましたが…、
沢登りの登山者が1名行方不明になっており、昨日から県警山岳警備隊と朝日岳方面遭対協の救助隊員による捜索が始まっています。
関西地方在住の56歳・男性が、13日に単独で相又谷から入り、吹沢谷〜黒岩平〜朝日平〜小川温泉のコースで16日に下山予定でしたが、予定日を過ぎても帰らず捜索願が出されました。
昨年9月に、警備隊の古崎分隊長はじめ救助隊のメンバーが同じルートを歩いて朝日小屋に辿り着き、かなり大変だったと聞かされています。
またこのお盆の同じ頃に、救助隊の谷 靖夫さんが同じルートを歩いておられるのですが、今年は一般登山道同様、沢・谷筋にはまだかなり多くの雪が残っており、スノーブリッジもとても危険な状態だったと話していらっしゃいました。
「相又谷」は、それ程“難しくはない”という話もありますが、最近は沢を詰めて黒岩平へ出る場合には、「北又谷」の本流からの入渓が一般的になっており、「相又谷」は最近は釣り客の他には地元の人たち以外にはあまり入らない所で、ルート上には「ナタ目」の痕くらいしか目印が残っていないそうです。
今の時期、行き慣れている人たちでも迷ったり危険と判断するような、あまり大勢の人が入らない沢へ、しかも単独で入渓したということで、当初の登山計画に無理があったのではないかとも考えられています。
また運悪く、このお盆の14・15日は強い雨風の悪天候に見舞われていますので、雪融けの水が重なって水量もかなり多く、行方不明者の安否が気遣われています。
昨日から、県警山岳警備隊の古崎分隊長・谷口隊員、救助隊の谷・大和両隊員が黒岩平をベースに、空からのヘリコプターによる捜索と地上からの捜索を併行して行なっています。
私の亡父でしたら、所属していた山の会の皆さんとよくそのような沢歩きをして同じコースも歩いていたようですが、私ときたら沢の名前や話しを聞くばかりで、残念ながら実際には歩いたことのないルートです。
朝日小屋からは、いまのところ「人的・物的」応援体制は何もしておりませんが、遭対無線での中継や電話でのやりとりが朝から夜まで続いていますので、私がバタバタして小屋の中も何となく落ち着きません。
捜索活動が進み、行方不明者が無事発見されますよう、関係者としても祈るばかりです。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030820a.html
遭難者、自力下山!!
2003-08-21
ハクサンイチゲ 03.8.15
今年は未だ、花のデジカメ写真をなかなか撮りに行けなくて…
今日の午後、沢登りで行方不明になっていた登山者が、無事北又小屋へ自力下山!!
19・20日の両日に引き続き、今日も早朝から空と陸からの捜索活動が続いていました。
午前中には遭難者は発見できず、午後から今後の捜索方針を関係各方面と打ち合わせしていた最中、北又小屋から朝日町役場に「釣り客からの有力情報」が飛び込んで来ました。
その後、午後2時20分頃、遭難者本人が北又小屋に自力下山して来たことが入善警察署により確認されました。
本人はケガその他はなかったもようですが、3日間近く何も食べていなかったとのことで衰弱もしており、北又小屋から救急車で病院へ搬送されました。
遭難前後の状況など、詳しい話は本人の回復を待って事情を聞くことになるようです。
何はともあれ、行方不明者が無事だったことで、私たちもホッとしました。
皆様にも、いろいろご心配頂き有り難うございました!
そして関係各方面の皆様、本当にご苦労様でした!!
とり急ぎ、ご報告させて頂きます。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030821a.html
捜索活動「ウラ話」・その1…“警備隊”編
2003-08-22
夕焼け前 遭難現場近くの初雪山などの山並み
今回の朝日岳周辺の沢での遭難では、行方不明者が無事自力下山し、捜索活動は終了しました。関係各方面の皆さんの多大な御尽力に、小屋の管理人としても感謝しているところです。
今回の捜索活動に当たっては、県警山岳警備隊と朝日岳方面遭対協の救助隊が陸と空からの懸命の捜索を3日間に亘って続けました。
その様子を全部お話することは出来ませんが、現場と関係各機関との無線中継を行なっていた朝日小屋でも、現場最前線での状況が逐一届いていた分、緊迫した雰囲気が漂っていました。
今回は、21日午後2時20分頃に遭難者本人が北又小屋に自力で辿り着いたのですが、その約1時間前の段階では空からも陸からも行方不明者は発見できず、午後からのヘリコプターの捜索範囲をどの辺りに絞るかが検討され始めていました。
(ヘリからの捜索を遭難者本人は知っていたそうですが、残念ながら、手を振ったり合図をしたりする状況にはなかったようです)
遭難現場付近に詳しい遭対協の谷口邦夫隊長が、役場で指揮に当たって居られたわけですが、隊長自らヘリコプターに乗り込んで捜索を開始しようとしていた矢先の「無事、自力下山」でした。
さて、行方不明者の方が病院に搬送され、テレビでは捜索活動が終了したというニュースが流れていたその頃、まだまだ“苦闘”は続いていたのでした。
実は…
所轄の入善署によって、北又小屋へ辿り着いたのが遭難者本人と確認され、捜索隊の引き上げが指示された時、古崎分隊長と谷 靖夫隊員は北又谷出合い近くの「吹沢谷」の中でした。警備隊の谷口隊員も「黒岩谷上部」を捜索中。
その後の予定では、ヘリコプターで捜索隊員のピックアップがされ、夕方までには下界に戻って、遭難者の無事とそれぞれの労をねぎらってホッとしているはずだったのですが。。。
夕方には現場付近を濃いガスが覆い、ヘリコプターが進入出来なくなってしまいました。
警備隊の古崎分隊長と谷口隊員はヘリコプターに搭乗し損ねてしまい、B.C.を張っていた黒岩平付近へ戻って、その晩は一度撤収したテントでもうひと晩泊まらなければならないハメに。。。
古崎 「お〜い、何処だ!?」
谷口 「こっちです!」
古崎 「何処よ!?」
谷口 「今、迎えに行きます!」
谷口 「真っ直ぐに登って下さい!」
古崎 「濃いガスで、足元しか見えん!」
谷口 「あッ、水溜りにハマリマシタ!!」
(後で聞くと、谷口さんは太腿までハマッテしまって、エライことだったそうです)
谷口 「見えました!!」
古崎 「全然、見えん。。。」
谷口 「声が聞こえます!」
古崎 「あぁ、離れて行った。。。」
先にB.C.に戻った谷口隊員が、濃いガスと闇夜で一寸先も見えない中、夜7時を過ぎてやっと沢から稜線近くへ上がって来た古崎分隊長を迎えに出た時の様子です。
(この無線でのやり取りの他にも、二人は大声で叫び合っていたそうです)
両名が合流するまで、約20分。そして無事B.C.に戻ったのは午後7時35分。
その間、無線を全て傍受していた朝日小屋ではハラハラドキドキ。「只今、両名合流しました!」との無線を聞いて、思わず小屋のアルバイトみんなから拍手が起こったくらいです。
闇夜の濃いガスの中の怖さも知っているだけに、「まさか、古崎さんや谷口さんに限って二重遭難なんてことは…」と思いつつも、やっぱり少し心配しました。
そして今朝9時半過ぎ、古崎分隊長と谷口隊員が入善署に戻られて、ようやく今回の捜索活動は全て終了したのでした。
古崎分隊長と行動していた谷 靖夫隊員からも少し話しを聞いたのですが、丸3日間、一体遭難者は何処で迷ったのか、あるいはどういう状況になっているのか、安否を気遣いながら、自らも危険な目に遭いながらの捜索活動だったようです。
谷口隊員にあっては、黒岩谷上部での必死の「ヤブこぎ」もあったようです。無線を通して「ハーッハーッ。。ゼーッゼーッ。。」という息遣いが聞こえてきました。
現場に出動した皆さんにあっては、いつもながらの大変な、現場での捜索活動。
そして関係各機関においては、迅速かつ的確な状況判断と諸々の準備と作業。
いろいろありましたが…とにかく、遭難者の方が無事で何よりでした!!
皆様、本当にご苦労様でした!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030822a.html
淋しくなりました。。。
2003-08-24
夕陽に照らされて 朝日平から雪倉岳・白馬岳を見る 03.8.23
23・24日の週末は、このひと月の間ずっと好天を待ち続けていらっしゃったお客様が訪れて下さって、夏の終わりの朝日小屋も結構賑わいました。
週末従業員の由起子さんをはじめ、私の高校の同級生のU君達のグループや、石川県からのお手伝い・亀ちゃん達、そして山の歌さんご夫妻…等など、親しい仲間も集まって来て、ワイワイと皆さんで小屋の仕事を手伝ってくださいました。
そして今日の日曜日、アルバイトのよっしーと真理ちゃんの二人がいよいよ下山。
お手伝いの皆さんももちろん、明日からのそれぞれの仕事の為に下山です。
小屋に残っているのは、孝太・山ちゃん・ひろクン、そして私。
淋しくなりました。
短い「朝日小屋の夏」も、そろそろ終わりです。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030824a.html
新聞に載りました!
2003-08-24
ハクサンコザクラ photo by toshiki
今日の午前中、愛知県に住む旧くからの知り合いのマッチャンから電話がありました。
「社長(若い頃の知り合いは、私をこう呼びます・笑)、新聞に大きく出ていたョ!」
そうです、今朝の中日新聞の文化欄『彼女達のストーリー』というコーナーで、私が取り上げられていたらしいのです。
マッチャンが、その後ファックスを送ってくれました。
先日、中日新聞の本社・文化部からIさんという記者の方が、わざわざ朝日小屋まで取材に来られて、(そういえば)「24日・日曜日の朝刊に載せさせてもらいます」と言われていたのをウッカリ忘れていました。
富山版には載っていなかったようですが、東海地方、それから松本の方でも掲載されていたらしいです。
残念ながらファックスでは、「肝心の」写真の部分が良く分からなかったのですが、果たして早朝の寝ぼけ顔の写真だったようで、かなり心配。。。(苦笑)
…ということで、少々恥ずかしいですネ。
…とりあえず、ご報告まで。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030824b.html
今から、白馬岳へ!!
2003-08-27
夕焼け 03.8.23
今から、白馬岳へ行って来ます!!
詳しい事は帰って来てから報告します。
では!!!
白高沢の橋について
昨日の午後、蓮華温泉の田原さんから連絡があり、白高地沢の橋が流出しているようです。
詳しい事は、今朝やまちゃんとひろクンが現地へ出かけましたので、帰ってからになります。
今週末に蓮華温泉方面からの登山を予定していらっしゃるお客様は、朝日小屋にお問い合わせ願います。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030827a.html
行って来ました、白馬岳!!
2003-08-30
白馬岳山頂 03.8.27
帰ってからの報告が遅くなり、ゴメンなさい。
出掛けにバタバタと書いていった通り、27日〜1泊2日で白馬岳へ行って来ました。
今回の白馬岳行きは、朝日岳〜白馬岳に至る登山道や周辺の状況調査が目的でした。
同行は、朝日岳方面遭対協・救助隊長の谷口邦夫さん(大蓮華山保勝会・副会長)と、阿曾原温泉小屋のオーナー・佐々木 泉さん(元富山県警山岳警備隊員)。
実は、来年以降場合によっては実施されるかもしれない朝日岳周辺の登山道整備及び周辺の環境整備事業の為、その状況を泉さんが事前に現地調査し把握される目的で、26日に北又から入山されました。また、谷口さんもその立場・役職上一緒に上って来られて、泉さんとの久々の対面。
今シーズンになって、未だ朝日岳の山頂までも行っていなかった私。果たして健脚のお二人と同行できるかかなり心配でしたが、いつもは9月にならないと行けない白馬岳に8月中に行ける“チャンス”でしたので、どうでも連れて行って欲しいとお願いしました(笑)。
前日は、谷口隊長と泉さんを迎えてのささやかな“白馬行き・前祝い”の宴会、そしてそこへ飛び込んで来た「白高地沢の橋流出」への対応と段取り。
27日当日は、白高地沢へ状況把握に行く山ちゃんとひろクンを送り出し、諸々の準備をしていたら、かなり遅い出発となりました。
しかし、心配していた天候も何とか“味方”してくれて、それはそれは楽しい山行になりました!!
入善警察署時代に山岳警備隊員として朝日岳周辺のパトロールの任に当たっていらっしゃった泉さんですが、朝日岳へは15年ぶり。もちろんご自分の山小屋に入ってしまえば忙しいし、いろいろ活躍しておられる方ですから、泉さん曰く「久し振りにこんなゆっくり“山”歩いたじゃ!楽しいのぉ!!」
雪が融けた後からお花もまだまだかなり咲いていましたし、また雲の切れ間から山並みを眺めることもできました。山のこと、登山道のこと、小屋のこと、花のこと…お喋りしながら3人でのゆっくりした登山は、「4ヶ月振りの山歩き」を心配していた私も辛さを忘れてしまうくらいでした。
また白馬山荘では、支配人の若林さん他、偶然登って来られていた今年の白馬常駐隊の皆さんや、カメラマンの竹内真一さんや高橋 修さん達を交えての「交流会」(!?)。
山に抱かれて、花たちとの出会い、人との出会い…いろいろ成果のあった、今回の白馬岳行きでした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/08/d20030830a.html