赤岳鉱泉〜文三郎尾根〜赤岳山頂〜地蔵尾根
2006-02-05
2日(木)は、車での移動と食糧の買出しをし、その後テント場のある赤岳鉱泉へ到着したのは、殆ど日没頃でした。
平日でしたのでテント場利用者は少なく、テント設営、食事の準備と夕食を済ませて、翌日の行動に思いをめぐらせながらシュラフに潜り込みました。
3日(金)は、テント場でも朝から強い風が吹いていました。赤岳山頂付近の天候を気にしながら、8名全員でテント場を出発。
コースは、赤岳鉱泉〜行者小屋〜“文三郎道”を行き、途中から「一般ルート組」と「主稜バリエーションルート登攀組」に分かれる2班編成、というものです。
“プロ”の皆さんの足は、やはり速い!
…それでも、かなり私の遅足に合わせてくれていたようで、時々「ゆかりさん、大丈夫ですか!?」と声を掛けてくださるのですが、「はい、何とか。。。」などと言いながら付いていくのが精一杯、いよいよ急登が出てくるとやはり遅れ気味になりつつも、弱音を吐くわけにもいかず、先への不安を隠しつつ(苦笑!)頑張りました。
“文三郎道”をアプローチして、いよいよ「主稜バリエーションルート登攀組」が岩稜に取り付くという地点まで行きましたが、あまりに凄まじい強風が吹き荒れ危険な為、全員が引き返すことになりました。
屈強な男性ばかりが同行者とはいえ、歩くのは私です。
時に突風に身体がふらつき、よろけて足をすくわれていた私は、標高が上がるにつれ、正直大変だと感じていましたので、実はかなりホッとしました。
撤退を決めて、赤岳鉱泉のテント場に戻って来たのは、お昼前。予定外の行動となりましたが、急遽「富山県SK会」お得意の“インスタント焼きそば”での昼食となりました。
ちなみに、この“日○焼きそば”は、具が全く入らないのが「富山県SK会」の決まりだとか。一人2玉食べる位が普通で、この日も8人で10玉がペロリとお腹に入ってしまいました。ただし、“胸焼け”に要注意だそうですょ。
時間が空いた午後は、赤岳鉱泉名物の「アイスキャンディー(人工氷壁)」に取り付き“勉強”することに。
「ゆかりさんも、やってみたら!?」と、一応誘っては貰ったのですが、「あはははは。。。」と誤魔化しつつ、私はもっぱら“ひやかし”と“写真撮影”担当をさせてもらいました。
その夜、翌日は天候が回復すれば、再度赤岳山頂へアタックすることが確認されました。
厳冬期の八ヶ岳、気温が低いのはもちろん承知のはずでしたが、夜が更けてくるに従って気温はグングン下がり、とにかく…『寒い!!!』。
着れるだけ着て、ホッカイロも貼って、マット下も完璧に準備したはずなのですが、寒くて寒くてなかなか眠れません。
4日(土)、寒いはずです、赤岳鉱泉での気温は「マイナス22度」。テントの中での体感温度は、もっと低かったに違いありません。
それでも、青空が広がり、行く手には赤岳や阿弥陀岳の姿がくっきりと見えて、待った甲斐がありました。
「赤岳主稜登攀組」の班が、ひと足早く出発。
「私達は慌てませんから」というYさんの優しい言葉に少し安心しながら、「一般ルート組」も遅れてテント場を出発しました。
前日よりは、かなりゆっくりペース。
“プロ”のYさんによると、「富山県SK会」のメンバーでも「仕事(!?)での山」「訓練(これも仕事のうちか)の山」「遊びで行く山」などでは、歩くペースももちろん違うので、私が同行した一般ルートでは、汗を掻かないような楽しむ山の登り方をするから大丈夫ですよ、と言って下さいました。
もちろん、アイゼンとピッケルを使いました。
途中、鎖や階段や手摺りなどがある岩場があったり、岩礫と雪が混ざる急登もありました。
「これも勉強だから」と言いつつ、危険な箇所ではフィックスを張ってもらったり、アンザイレンもして頂きました。
無事に赤岳の山頂に立ったあとは、赤岳天望荘に立ち寄り軽く昼食をとって温まり、その後一気に“地蔵尾根”を下りました。
また「赤岳主稜登攀組」は、一日中陽の当たらない雪の付いた岩壁で、寒さと戦いながらも、山頂へのダイレクトルートを完登することが出来ました。
テント場を撤収し、赤岳山荘の駐車場に戻って来たのは、そろそろ陽が落ちた時間となってしまいましたが、8名の胸の中は充実感で満ちていました。
厳冬期の八ヶ岳、赤岳登頂。満足感でいっぱいです。
上の写真は、左から
「富山県SK会」の新人・M君、ガイドの多賀谷さん、私、「富山県SK会」主力のYさん
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