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立派な橋が架かりました
2001-06-16
立派な橋が架かりました
今日は予定通り、梅さんと哲也が蓮華温泉側へ登山道の点検に。
残雪の上をルートを辿って「ベンガラ」を撒いてくる作業と、「白高地沢」を渡渉しなくてすむように橋を架ける大事な作業がありました。
「白高地沢」の橋は朝日小屋にとってみれば“生命線”のようなもの。毎年の作業ではありますがさすが梅さんと哲也の「師弟コンビ」、バッチリ上手くいったそうです。写真でみてもらえばよく判ると思います。余程の事がない限りシーズン中は大丈夫なのですが、何しろかなりの水量がありますので、過去にはシーズン中に何度も架け直した事もあります。
状況はこのHPの中でもお知らせしますが、何かあれば直接朝日小屋へお電話でお尋ね下さい。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010616c.html
「師弟コンビ」梅さんと哲也
2001-06-16
ナントも言えないこの出で立ち。首から下げているのは、「ベンガラ」撒き用の特別お手製の容器です。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010616d.html
「吹き上げのコル」から蓮華温泉側より、朝日岳を望む
2001-06-16
朝日岳より北側の様子です。かなりの残雪があります。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010616e.html
一周忌…
2001-06-17
「管理人室」の様子。想い出の写真など
今日は亡くなった父の一周忌です。今、食堂で父の遺影を前に梅さん、哲也、そして私の三人でお酒を飲んでいます。
…BGMには「夕日が原慕情」が流れています。この曲を聴くとポロポロ涙が出ます。父の出棺の時にこの曲をかけたことが昨日のことのように想い出されます。
夕方には雲海が素晴らしく、命日にふさわしい日でした。
下澤家にも、昔のアルバイトやいつも山に来てくれていた皆さんがお参りに寄って下さいました。本当に有難うございました。
「いろいろ変わったところや頑張っているところも見せてあげたかったな…」と言いましたら、梅さん曰く「何処かできっと見ているから…」。
父の気持ちを大切にして、そして私なりの朝日小屋を創っていくように頑張ります。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010617a.html
夕方の食堂にて
2001-06-17
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010617b.html
昨日の雲海
2001-06-17
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010617c.html
小屋の周りでは
2001-06-18
小屋のすぐ前で。ミヤマキンバイ
頼りにしていた「助っ人・梅さん」が今日帰っていきました。また来てくれる予定なのですが、それまでは哲也と「母と息子のコンビ」で頑張ります(笑)
山の中腹では残雪が結構多いという情報がありますが、ここ朝日小屋の前の雪はどんどん融けていきます。昨年の山開きの時には、深い雪の中からドラム缶を探し出すのにとても苦労したのがウソのようです。今小屋の周りをぐるりと見回すと、そろそろ可愛い花たちが咲き始めました。
私はまだホンの小屋の前しかウロウロしていないのですが(笑)、ミヤマキンバイ、ミヤマタンポポ、ハクサンコザクラ、そして小屋の前で唯一一株だけ咲いているウルップソウも…。まだ不勉強で名前のわからない花も(笑)。一昨日梅さんと哲也が白高地沢まで行きましたが、蓮華温泉方面も結構お花がきれいだったという事でした。
残念ながら、私の安物デジカメでは肝心のお花が上手く写らないようですが、またいろいろ勉強します。では。
ps. 「哲也」君が自分の名前は「クン」を付けないで書いてほしいという事なので、「哲也」とします。あしからず…(笑)
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010618a.html
管理センターとテント場トイレ
2001-06-18
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010618b.html