頂上付近より
2001-10-05
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/10/d20011005c.html
2001-10-05
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2001-10-11
photo by nisiyama
5日に紅葉の様子をUPした後、6日〜10日まで丸5日間も日記をお休みしてしまい、本当にすみません!…きっと小屋閉めの直前で目の廻るくらい忙しかったのだろうとか、毎日毎日名残惜しく「大宴会」続きでそれどころではなかったのだろうとか(笑)、どうしたのだろうと巷ではいろいろの情報が流れていたようですが、…どちらとも言えない状況で、やっと今日は「とにかく最後の夜、日記を書いて皆さんにご挨拶を!」とパソコンに向かっている次第です。
真夏にも確か、小屋に居ながらでこんなに続けてお休みしたことはなかったように記憶しています。9月下旬〜10月初めにかけての毎日があまりにのんびりしていたので、小屋閉め直前のドタバタでリズムも少々狂ったのかもしれませんネ(笑)
6日には、今夏のアルバイトやグリーンパトロール、そして「朝日小屋ファミリー」のみんなが大勢集まってくれました。そしてもちろん「前夜祭」…。
7日は、今シーズン中週末従業員として頑張ってくれた美枝ママと由紀子さんを初め関係者、そして継続取材をさせて欲しいと言われたチューリップテレビの皆さん(小屋閉め・下山まで)等も加わり、「小屋閉めイベント・本番」!!…大勢の仲間たちが新米管理人の一年目をサポートしてくれて、無事に小屋閉いが出来る事を一緒に喜んでくれました。
そして8日には、いよいよ小屋閉めの実働部隊が上山して来てくれました。心強い助っ人のメンバーはもちろん室堂から駆け付けてくれた梅さんと、父の時代に10年も小屋で頑張ってくれた一旗。そして「後夜祭」。
しかしそれからの毎日は、小屋閉めに向けて毎日小屋の中がどんどん片付いていきました。2階のお客様のお部屋の畳を順番に上げていくと、何だか涙が出るほど淋しかった…。管理センターとテント場の公衆トイレは一足先に冬囲いを済ませました。シーツの洗濯も結構時間がかかりましたが、やっと今朝で完了。
そしてそしてドタバタもありました!!
最後の最後に「遭難(騒ぎ)」…。実際に、今朝の早朝から富山県警ヘリと新潟県警ヘリが出動して2機が空から捜索し、地上からの捜索隊も編成される直前だったのですから、それは大変でした!!
強風に見舞われた10日はお客様がなく、9日にお泊りの2パーティーが実質今シーズン最後のお客様でした。10日朝に出発されたのですが、その内の4人グループが途中で登山道を間違え、蓮華温泉へ下山するはずがとんでもないことに…。今朝の8時過ぎになってご本人達から連絡がありやっと無事が確認されました。
今日は、梅さんと哲也は大切な白高地沢の仮橋撤去の仕事もありました。しかし、早朝5時半から瀬戸川の橋までの登山道を、捜索を兼ねて出発。残った部隊も、電話の応対に追われつつ、一旗は水平道の鎖を撤去したり、孝太とジッキーは厨房の仕事等など、みんなで一生懸命仕上げてくれました。
「今シーズン最後のお客様」にもしも何かあったら、私は管理人として一生悔いが残ると思いました。本当に心配でした。でも、夜には帰宅されたご本人さんからお電話がありましたので、これで新米管理人のシーズンも後は明日最後の作業を残すのみ。
今晩、「今シーズン最後の夜」を過ごしているのは、梅ちゃん・一旗・哲也・孝太・ジッキー・森下さん・チューリップテレビの西山さん・三国谷さん・尾島さん、そして私の10人です。
小屋開けしてから、明日でちょうど4ヶ月。朝日岳、朝日小屋、そしてこの「日記」をはじめ「朝日小屋ホームページ」を可愛がって頂いて有り難うございました。
下界に下りても、来年の朝日小屋管理人生活に向けてまたこの日記も続けていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
今食堂では、「夕日ヶ原慕情」がずっと流れています…。そして「朝日小屋ショック」の面々がワイワイガヤガヤ、まだまだ夜は長いようです。
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2001-10-11
今宵は雨で、夕陽が沈むのは残念ながら見られませんでしたが、昨日の夕焼けはまた見事でした。
今シーズン、朝日小屋から皆さんにお届けする最後の夕焼け
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2001-10-15
夏山シーズンを中心に約4ヶ月の間、登山者の皆さんにご利用頂いた朝日小屋ですが、本格的な冬の始まりを前にして、10月10日で今シーズンの営業を終了し、12日には関係者全員無事に下山して来ました。バタバタした中で、ご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。
本当にいろいろ有り難うございました。
「新米管理人」は大勢の方々に力を貸して頂きながら、何とか無事に一年目のシーズンを終える事が出来ました。またたくさんの登山者の皆さんに、花を訪ねる山旅を楽しんで頂くことが出来た事を何より嬉しく思います。
長いようであり、でもあっという間の4ヶ月間でした。
張りつめた気持ちのまま、「やるしかない」の気持ちで迎えた小屋開け。…そして、体力的にも精神的にも無我夢中だった、「海の日」から8月下旬の夏山最盛期。…気持ちを整理しつつ、静かに深まりゆく秋の中で、朝日岳とじっくり向き合うことが出来た9月の毎日。…重症の『朝日小屋ショック』になって「帰りたくない」を連発しつつ、大勢の皆さんの励ましで、来年に向けて頑張る気持ちを持てた小屋閉めまで。
哲也をはじめとしたアルバイトとグリーンパトのみんなには、本当にあったかい気持ちをたくさんもらいました。朝早くから夜遅くまで、ドタバタした毎日でかなりきつかったと思いますが、小屋閉めには殆どが大集合してくれて、まるで何十年振りに再会した同窓会のような雰囲気でした。こんなに素晴らしい若者たちに、管理人一年目に出逢えたことは私の人生の中での宝物です。本当に有り難う!!
自称「週末従業員」のお姉さま方をはじめ、ゆかりが心配で毎週のようにお手伝いに来てくださった皆さん、有り難うございました。お陰さまで、本当に助かりました。
そして、朝日小屋をご利用下さった登山者の皆様。忙しくて気持ちが回らずにご迷惑をかけたり、不愉快な思いをされたことはなかったでしょうか。懲りずに、また花を訪ねておいで下さい。お待ちしております。
無我夢中でスタートした「新米管理人」の一年目はどうだったのでしょうか。シーズンオフにはいろいろ整理することが出てくると思います。私の気持ちも含めて。…どんな「朝日小屋管理人」になりたかったのか、もう一度初めの気持ちに帰って反省をし来年に向けての目標も立てたいと思います。自分が考えていたように出来たのか、足りないところは何だったのか。
朝日岳と朝日小屋を想う自分の気持ちは、管理人になっても変わらないものもありますが、少し形を変えたもの、膨らんだ思いもあるように思います。来年も頑張れるように、このオフには自分の気持ちを静かに見つめて、きちんと充電したいと思います。
先日も書きましたが、この日記も毎日とはいかないと思いますが、皆さんに忘れられないように(笑)続けていきたいと思います。また、掲示板でも皆さんとの交流は大いに盛り上げていただきたいですね。
休む間もなく、14日には「幻の大桂」を見に行って来ました。この後も雪が降るまで、ボチボチと他の山へ行く計画もあります。またそんな様子も載せたいと考えています。
シーズン中、本当に有り難うございました。また来年、朝日小屋でお会いしたいですね。では…。
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2001-10-15
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2001-10-15
最強の、「逆ボッカ」・下山部隊は左から
カズキ・孝太・梅さん・哲也・森下さん・ジッキー
小屋閉めの最後まで撮影して下さったチューリップテレビの西山さん・三国谷さん・尾島さんも一緒でした。
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2001-10-17
亡き父が、大きな大きな樹の前で両手を広げている写真があります。その樹が「幻の大桂」…私も同じ樹の前で、父と同じポーズを取ってみました。
14日、大蓮華山保勝会の行事として「幻の大桂」の探勝会が行われ、新米管理人も参加して来ました。
富山県内最大級といわれる桂の巨木は、黒部川支流の黒薙川上流部にあります。北又小屋から水量も多い黒薙川を何度も徒渉し、歩くこと約3時間。それも道無き道を、ルートを判った保勝会のメンバーに案内され最短距離を通っての事で、ひとつ沢や尾根を間違えれば一晩帰れないという奥深い場所にありました。
…「幻の大桂」は、幹廻りが約14.1M、樹高は約35Mあり、樹齢は500年から800年と推定されているそうです。江戸時代には、黒部一帯を領地にしていた加賀藩が「奥山廻り」により、盗伐や密猟者を監視していたとされていますが、その様子を記した文久3年(1863年)の「下奥山日記」には、「杉谷大桂の木の下で昼食をとり」というくだりがあり、当時からこの巨木が見回りルートの重要な目印だったらしい事が伺えます。(以上、H6.12.5付け・朝日新聞よりの抜粋を含む)
他の方々と一緒に私の父がその巨木を見つけたのは、かなり以前だったようです。父は、山菜採りやきのこ採りに長けており、結構他の人が行かない(行けない)場所へもよく足を運び、春にはゼンマイや秋にはなめこを採って山を歩くのが大好きでした。そんな父がこの樹を見つけた時の気持ちはどんなだったのでしょうか。
「ゆかり、お前、オヤジと親子2代でこの大桂を見たなあ…」とは、小さい頃から私を知っている保勝会のメンバーの方の言葉。
なかなか人の踏み込めない奥山で、何百年も静かに息づいて来た「幻の大桂」。朝日岳周辺の自然の豊かさと奥深さに、またも魅せられた新米管理人でした。
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2001-10-17
太腿まで川に浸かり、かなり四苦八苦(笑) photo by yomojii
何しろ、12日の小屋閉めでは下山が夜遅くなってヘッドランプを点けての行動だったし、その夜の打ち上げの疲れも重なり、14日にはまだかなりダメージが残っていました。
その上、生まれて初めての徒渉で、本当に…ヘロヘロ!!
何度川を渡ったことやら。川から上がるたびに身体がフラフラして、終いには何キロも遠泳したみたいに。そして一緒に行ったメンバーといえば、熊のような仙人のような「山男」ばかり。(失礼、「週末従業員」の由紀子さんも参加)もう途中で「帰ろうかしら」と思ったような、そんな山歩きでした(笑)
でも、行って見て来て本当に良かった!!
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