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週末は大杉山でした!!
2004-02-03
大杉山(734.2m)山頂にて 04.1.31
好天に恵まれた先週末、シュンちゃんたち同い年のみんなで魚津市の片貝川奥に位置する大杉山へ行って来ました。今の時期でも頑張れば日帰りも可能な山でしたが、今回は土曜・日曜日を利用した雪中テント泊。
シュンちゃん、堀クン、ササキさん、そして私。まさしく「怪しい(!?)”中年男女”」4人組のズッコケ山行でしたが、抜けるような青空の下、ラッセルに少々苦労したり“かんじき”にもてあそばれたりしながらも、心地良い汗をかいて楽しんで来ました。
各人毎4張のテントを張り、他に“シュレッダー”のようなというか“集会場”というか“公民館”というか、そんな「雪洞」を掘ってみんなで遅くまで飲んで食べてそして語り明かしました。
深雪の中で、雪と戯れる…おぉ!ナント贅沢な『大人の遊び』。
これぞ雪国暮らしの私達にこそできる、冬の大切な時間。
標高800mに満たない低山ではありましたが、僧ヶ岳や毛勝山、剱岳、立山の峰々、大日岳や薬師岳といった北アルプスの山々はもちろん、富山平野の夜景がそれはそれは見事でした。
楽しい楽しい、冬のテン泊山行でした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040203a.html
夜景に魅せられて…
2004-02-03
富山市の夜景
富山平野の夜景です。大杉山は富山市に近い魚津市にあるので、富山の夜景がそれは見事でした。
富山湾が湾曲していて、それに沿って光が散りばめられているのが分かりますか??
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040203b.html
ドタバタと…今日はこれから、東京へ
2004-02-03
一面の雪原…「ぶどう原」 04.1.31
本当は、昨日ゆっくり大杉山の山行を日記にUPする予定でしたが、朝になって急に用事が入り、その後も一日ドタバタ…。
今日は、お昼頃の電車で東京へ行きます。
岩崎元郎さん主宰の「無名山塾・遠足倶楽部」の新春懇親会にお誘い頂いたので、行ってきます。
しかし、明日はどうしても朝までには戻らなくてはいけないので、夜行でとんぼ返りしてきます。
バタバタしてゴメンなさい。
では、行ってきます!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040203c.html
「無名山塾・遠足倶楽部」の新春懇親会
2004-02-04
主宰・岩崎元郎さんからのご挨拶 04.2.3
行って来ました、東京は池袋。3日夕方からの「無名山塾・遠足倶楽部」の新春懇親会に。
この会は懇親と情報交換の場として毎年開かれているそうですが、岩崎元郎さんが昨年も朝日小屋においでになったご縁もあって、私は今回初めて参加させて頂きました。
無名山塾・遠足倶楽部会員や講師の皆さんをはじめ、雑誌や出版・放送などマスコミ関係の皆さん、山小屋オーナーの方々、岩崎さんの山仲間…等など、150 名程の方々が出席していらっしゃいました。救心製薬社長の堀 正典さん、故深田久弥さんのご長男の深田森太郎さん、さわがに山岳会・小野 健さん、それからみなみらんぼうさんのお顔も見えました。
懇親会は、主宰の岩崎元郎さんのご挨拶に始まり、参加者全員の紹介、みなみらんぼうさんと深田森太郎さんの来賓挨拶、そして縞枯山荘のご主人・嶋 義明さんの乾杯と続いた後、“名刺交換”やら情報交換を交えて楽しく歓談へ。
普段から抽選にはとことん弱い私ですが、「月おくれのお年玉抽選会」と称したイベントでは、ラサの絨毯店で岩崎さんが購入したという『チベットの壁掛け』をゲット!!…その上、壇上に登らせてもらいマイク片手にひと言ご挨拶させてもらうという“貴重なプレゼント”まで頂きました。
雪深い富山からのあたふたとした上京となりましたが、「ぜひ一度この方に会いたい!」と思っていた方にお目にかかれたり、北アルプス以外の山域の山小屋の皆さんにお会いできたり、楽しい時間とともに、私にとってもいろいろと実り多い機会となりました。
岩崎さんは、今年も朝日小屋においでになるそうです。やはり高山植物がとても多いのが魅力らしく、ゆっくりと楽しい山歩きができると話していらっしゃいました。今年のコースは、北又から入山して朝日岳から栂海新道を日本海へ抜けようというルート。
夏の朝日小屋での再会が楽しみです。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040204a.html
栂海新道がご縁の“ツーショット!”
2004-02-04
ご存知、みなみらんぼうさんと小野 健さん
昨年8月、某山雑誌の企画で初めて朝日岳を訪れたというらんぼうさん。当日は朝日小屋でさわがに山岳会の小野 健さんと合流し、翌日一緒に栂海新道を目指されました。
今回は、その時以来の再会となりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040204b.html
秩父の親分(!?)お二人と
2004-02-04
左・甲武信小屋のご主人、山中徳治さん 右・雲取山荘のご主人、新井新太郎さん
あまりに有名な秩父の山小屋のオーナーたちと“スリーショット”。
雲取山荘の新井さんは、岩崎さんの言葉をお借りすれば「奥秩父の大親分」だとか。チャンスがあれば、私も3月頃に雲取山へ行きたいナと思っているので、しっかりご挨拶。とても懐の深そうな面倒見の良さそうな雰囲気の方です。白馬岳から以南は登っているので、できたら今シーズンにも朝日岳を目指したいと話していらっしゃいました。
秩父の山には全く縁のない私。「甲武信小屋」という名前はどの雑誌を開いても載っているのですぐに分かったのですが、実は「こぶしごや」と読むのだとは今まで知りませんでした。岩崎さんが“徳ちゃん”と親しみを込めて呼ぶこのオーナーは、豪快な雰囲気の中にもなんとも優しい感じの漂うステキな方でした。ぜひいつか機会を作って、訪れてみたい小屋ですね。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040204c.html
こんなお二人の関係は…「信」の仲
2004-02-04
左・高桑信一さん 右・深瀬信夫さん
高桑信一さん…
朝日小屋へはもう10年以上も前にいらっしゃっているそうですが、実は私は初対面。
山雑誌をめくると、必ずと言って良いほど登場していらっしゃいます。「ろうまん山房」を設立し、その肩書きもフリーライター、カメラマン、山岳ガイドと多岐にわたって活躍されています。つい最近は、某テレビの「情熱大陸」という番組に出演されましたネ。
昨シーズンは、どうやら“朝日岳の近く”までは何度かおいでになっていたようですが(微笑)、今回ぜひお会いしたかった方の一人です。「今年こそ朝日小屋へ行きます!」とおっしゃっていました。
深瀬信夫さん…
東京マタギ。遡行同人「梁山泊」を主宰されていて、沢登り界の“大御所”のお一人です。
深瀬さんのアウトドアー教室もあり、その仕事は岩登り、沢登り、山菜・きのこ採り、渓流釣りと幅広く活躍していらっしゃいます。また、カスタムナイフ作りの達人としても有名。
毎年必ず沢を詰めて朝日小屋に顔を出してくださるのですが、昨シーズンは柳又谷の水量がとんでもなく多い時期の遡行となり、途中で断念されたそうです。
お互い背広とスーツ姿でちょっとかしこまって、一昨年8月以来の再会となりました。今年は、朝日岳周辺の沢を2回やる予定とのこと。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040204d.html
いつの時にも『繋がり』を大切にして
2004-02-05
小川温泉元湯・湯治のお宿“不老館” 04.1.28
小川温泉元湯に昔からある湯治場です。先日、某テレビ局の“めざましテレビ”で全国放送されたとか。この1月末には、うちのお義母さんも1週間程湯治に行って来られたんですョ。腰痛や肩こりなどにも効くということで、部屋に備え付けの自炊施設で食事を作れば素泊りでかなりお安く泊まれるので、地元の人を中心に今でも人気の宿です。
今日は午後から、いつもお世話になっているヘリコプター会社の方がご挨拶も兼ねて、今年のヘリコプターの運行について簡単な打合せにいらっしゃいました。
他にも、いろいろお土産品の売り込みや新商品の開発の打合せ等など、このオフの時期にもというか、オフの時期だからこそボチボチと私なりの仕事を持っています。
管理人を継いで3年が経ちましたが、まだまだ慣れないことが多くて、シーズンの終わりには反省ばかり、そしてシーズン前には「今年こそ!」と意気込みばかりが先に立って、シーズンが終盤になるとまたまた反省。。。そんなことを繰り返している自分に呆れを通り越して、そろそろ辟易している私。
「どんぶり勘定」ばかりしていないで、経費の切り詰めなどもっと“つまつま”“ケチケチ”と出来れば、それに越したことはないのでしょうが、なかなか性に合わないというか、ただのズボラというか、ヘタなだけでマメでないというか。。。
要は、ただ頭が廻らず頭が悪いだけなんでしょうけれど。
先日、集落の婦人会(私も一員なので)の新年会に行きましたら、お店をやっている奥さん達から「ホントに、商売がやり難い時代だわぁ」という嘆き節が。。。電気屋さん、パン屋さんなどといった小売業の皆さんが本当に大変な目に遭っていらっしゃいます。
私もその昔は、亡父が山小屋管理人をやりながら母が牛乳の卸・小売販売を営んでいて小さい頃から「商売屋」の悲哀は嫌という程味わっていますから、今の時代の大変な状況が良く分かります。
朝日小屋の管理人を受け継いだ時以来、父の代からの繋がりでいろいろと物品の仕入れでお世話になっている地元の商店さんが何軒もあります。時に安い品物を求めて、町外に出掛けることもありますが、特に生鮮食料品や野菜、酒類などは量販店ではなく近所のお店から購入するようにしています。
いろいろあって亡父がお金に困っていた時、「いいよ。大丈夫!あとでいいから!!」と言ってしばらく支払を待ってくださったお肉屋さんやお酒屋さん。
山小屋だからといつも以上に新鮮な野菜の供給に気を配ってくださり、父が「新鮮な野菜だったら、やっぱりあそこのお店で」といつも言っていた八百屋さん。
天候が悪くてヘリコプターがなかなか飛ばない時、沢山の冷凍食品を何日も預かってくれる地元のAコープさん。
昔牛乳の宅配もしていた実家では、私たち4人姉妹は近所の家々に集金に行くのが“仕事”でした。そんな時、父も母も「頂くお金は、端数をちゃんと“おまけ”していらっしゃい。何円という数字は全部切り捨ててね」と必ず言いました。
言われた通り、集金してくる数字は何十円の単位まで。子ども心にも、そうすることが当たり前だと思っていました。でも「牛乳一本売って、何円」という商売でしたから、本当は一円だって掻き集めたい位だったと思いますが。
仕事も商売も、でっかくやっていればそのように、小さければ小さいなりに、本当にやり難い時代だと思います。まだしばらくは我慢、我慢。。。
でも、こんな時だからこそ、人と人との『繋がり』を大切にしたいですね。義理人情ではありませんが、最後は何だかそんなところに行き着くような気がしないでもありません。
朝日小屋も、皆さんとの『繋がり』を大切に…。いつも肝に銘じるようにしています。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/02/d20040205a.html