朝陽の中で…
2001-09-26
もちろん、「クモの巣」です。蓮華温泉へ向かう途中、朝日岳頂上までの上りで見つけました。
まるで、芸術作品ですね。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010926c.html
2001-09-26
もちろん、「クモの巣」です。蓮華温泉へ向かう途中、朝日岳頂上までの上りで見つけました。
まるで、芸術作品ですね。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010926c.html
2001-09-27
昨日、「サザンを聴きながら…」等とかなりセンチメンタルな内容の日記を書いたところ、友人のKさんから「罪な人!!!」という内容のメールを頂きました。
彼女は今シーズン、生まれて初めて2,000Mの山を登って私に会いに来てくれました。そして朝日岳の魅力を思い切り感じてくれたのです。
「素敵な自然をひとりじめしないで、早く下界に下りてきて、(今まで以上に)頑張って下さい」、そして「残り少ない山での生活を充分満喫して、下界で奮闘するためのエネルギーを蓄えてきてください」という内容のものでした。
本当にそうですよね。
苦労もそれなりにあったけど、またとびきり楽しくもあった「雲上人」生活を4ヶ月も過ごさせてもらったのだから、気持ちをしっかり切り替えて頑張らなくっちゃいけませんね。
また来年も来るんだから…。でもでも、やっぱり…「帰りたくな〜い!!!」
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010927a.html
2001-09-27
何ともいえない、透きとおるような青の深さ
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010927b.html
2001-09-29
遅くなりましたが、この日記は、28日(金)の分です。
28日はここ朝日平で早朝にかなり激しく雪が舞い、もちろん白馬岳方面は真っ白になりました。
午後からお天気は回復したのですが、朝方の雪のせいもあってか、夕方までいくら待ってもお客様の姿はどこにも見えず…。仕方なく哲也と二人、「寒いし、またお鍋でもしようか」と準備を始めて、さぁ食べましょうという頃になって、夕焼けがとてもきれいになって来ました。
やっぱりデジカメを持って外へ、夕食は後から…。
そうしたら、山頂からの道を3人連れの姿が。こりゃあどうする、夕食は一緒に鍋を囲みますか。…ところが、「あれ、小野さん!!」…(今宵はまたまた宴会だぁ)
さわがに山岳会の小野健さんは、もちろん北アルプスと日本海を繋ぐ「栂海新道」を開拓された方です。亡き父ともとても懇意にして下さって、今夏には小野さんのご好意で朝日小屋主催のツアーのガイドも引き受けて頂きました。
「栂海新道」は昨年開通30周年を迎えましたが、その苦労は並大抵ではなかっただろう事、今でも藪刈りを始め登山道の補修点検は大仕事だという事、そして「栂海山荘」を維持管理していく事がどんなに大変な事か、私自身が小屋の管理人として小野さん達の活動には本当に頭の下がる思いです。
小野さんやそのお仲間の皆さんとの再会と楽しいおしゃべり、そして美味しいお酒…薪ストーブを焚きながら、またまた朝日小屋は深まり行く秋の寒さを忘れされてくれるような楽しい夜になりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010929a.html
2001-09-29
朝日岳に影が映っているのがわかりますか??
ちゃんと、朝日小屋もシルエットがきれいに映っています。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010929b.html
2001-09-29
真ん中のイカツイ雰囲気を漂わせているのが井崎さん。でもとても優しくて面白い方でした。
小屋閉いまであと少し、お互いに頑張りましょうね!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010929c.html
2001-09-29
朝日平は、積もりはしませんでしたが、強風と横なぐりの雪でした。
「日記」もその日の夜に書けない時がありますが、いろいろ載せたいことは沢山ありますので、小屋閉いまで頑張ります!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010929d.html
2001-09-29
27日、新潟大学大学院・自然科学研究科の平英彰教授が学生さんを連れてお見えになりました。
平先生は15・6年前から朝日岳へ年に2回程づつ調査に入っていらっしゃいます。私は今までお会いする機会がなかったのですが、夏に続いて今年2回目の入山は、ちょうど小屋が暇な時でもありいろいろお話しする事ができました。
そして、今まで話しに聞いていた「三郎杉」も、先生の案内で私自身が確認する事ができました。
「三郎杉」… もちろんこの名前は「下澤三郎」本人と小屋のアルバイトの皆がそう呼んでいたらしいのですが、平先生のお話しによると学名等はもちろん別にあるわけで、ただ発見した人やそれに関わる人の名を冠する事はかなり自由ならしく、私たちが「三郎杉」と呼ぶのは全く構わないということでした。
「三郎杉」は、亡き父が朝日岳周辺をいろいろ歩いていた時に偶然見つけたそうです。そしてたまたま新聞で標高の高い地点にある「杉」の記事を読んだ父が平先生に連絡し、平先生が確認されそれ以来毎年調査に訪れるようになったと話して下さいました。
日本で一番標高の高い所にある「杉」は毛勝山の2070M付近にあるそうですが、それに次ぐものとみられる「三郎杉」の地点の標高は約2060M。ネズコやオオシラビソの木々に混ざって、その「三郎杉」はありました。樹齢は大体350年程と推定されるそうです。
「杉」という樹木の特徴やいろいろな条件からしても、その昔、この朝日岳にも杉はもっと存在していたと考えられ、まさに「地球温暖化」の影響等で「森林限界」が大きく変化してきている…平先生のお話しは、初めて聞く私には驚きの内容ばかりでした。そして他にも高山植物や樹木の話し等など、分かりやすく教えていただく事ができました。これからもまだまだいろいろ聞かせていただきたいと思いました。
そして、亡き父の名前を付けて呼んでいる「三郎杉」…風雨や冬の豪雪にも、その枝を柔軟にしならせ、またしっかり山の急斜面に根を張り頑張る姿には心を打たれるものがありました。
「朝日小屋の管理人」として知っておくべき事実がここにも存在していました…。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/09/d20010929e.html