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亡き父が好きだった山、憧れの初雪山へ
2002-04-15
初雪山頂上にて、強風に飛ばされそうになりながら記念写真
photo by ターさん
14日(日)、初雪山(はつゆきやま・1,610m)へ行って来ました。
いつもならこの日記の中で「明日は○○へ」とお知らせするのですが、今回の山行への参加はかなり急に決まったのでその余裕がありませんでしたし、また正直言って本当に頂上を踏めるかどうかわからなかったので、実は内緒にしていたわけです(笑)。
メンバーは、花じいさんこと石澤さん、ターさんこと高田さん、シュンちゃん、主治医のY先生、由起子さん、そして私の6名。
早朝5時に朝日インターで待ち合わせ。国道8号線を折れて境川を遡り、大平川の川沿いに境川第2発電所奥の車の行き止まりまで走り、そこから歩き出したのは午前5時40分。事前の情報では、残雪の状態次第ではもしかしたら林道歩きにかなりの時間を要するかもしれないという事だったので、遅速の私がいるので取り付きまで2時間を覚悟していましたが、思いのほか雪融けが早く、川黒谷出会い直前の山道(作業道?)に取り付くまでは約1時間。
杉の木立ちを抜け、イワウチワが両側に咲き揃うあまり踏まれていない山道をしばらく行くと、雑木の林がいつしか木洩れ陽の射すブナの林に変わります。たいした急登でもなく、横に広い斜面をツボ足で快適に抜けていきます。
しかし、前を行くのは花じいさん・ターさん・Y先生・由起子さんの健脚4人組。最後尾は私と、私をサポートしてくれるシュンちゃん。「あくまでマイペース(でしか歩けない)」の私を気遣いながら登ってくれた4人でしたが、休憩する彼らにやっと追いついたと思ったら、さあ出発(笑)。…でも私は適当に呼吸を整えながらの自分歩きなので、それでもどうにか付いていくことが出来ました。
途中からは初雪山の頂上を眺めながらあまりに快適な登りが続くので、「ナンカ、すごく大変な山だって聞いてきたけど、藪こぎもないし(これはルート取りが最良だった為)、こんなもんで頂上まで行ってしまうのかしら??」と不思議になって来ました。
ところが標高が1,000m前後になった頃から、かなり強い風が吹いて来ました。結構身体がふらつくような強風に、何やら怪しい気配と少々不安な気持ち。。。
どうやら快適な山歩きを楽しませてくれたブナ林の上端まで行った辺りでふっと上を見上げると、かなりの急斜面です。『そうか、これか。。。』
ルート取りは男性4人で相談しながら進みましたが、リーダーの花じいさんの的確な判断で、斜面の左側(犬ヶ岳側)は雪の状態が怪しいので避けることにして、頂上に向かって右の斜面をトラバースしながら少し巻き、その後しばらく直登しました。ただでさえかなりの急登に恐怖心をこらえながら進んでいるのに、その上強風にあおられて気持ちまでフラフラしそうになりましたが、とにかく上へ行くしかないので、黙々と前進あるのみ。
一番危険な直登の箇所を終えて、ブッシュに出ました。そこを犬ヶ岳側に巻こうとしましたが、やはり雪の状態がどうも良くないようなので、少々困難を覚悟してブッシュを抜けることにしました。滑落の恐怖はないものの、男性に比べて軽量なのと腕の力がないからか、結構必死でした。
何とかブッシュも抜けてホッとしましたが、いい加減お腹も空いてきたのか、力が入りません。無線中継用のタワーを目指してあとひと息…。
ところが…目の前にドーンと朝日岳の勇姿が飛び込んで来ました。朝日小屋の三角屋根もはっきり見えます。もう、もう少しで涙がポロリ…本当に「感動もの」でした。こんなに近くに見えるんだ。。。頂上着は午前11時50分、取り付きから約5時間あまり。
強風に飛ばされそうになりながらゆっくり感慨に浸る間もなく頂上を辞し、少し風のゆるい場所まで下がって昼食にしました。あの急斜面を降りるんだと思うと、そうそうアルコールをグビグビ飲むわけにもいきませんが、持って行ったご馳走を広げて「とうとう初雪山に来たんだね」と、やっぱりみんなで乾杯!!
お楽しみのお昼が終わり、さあ、とにかくあの急斜面を滑落せずに降りなければいけません。前を行く人がステップを切ってくれますが、それでも気が抜けませんからしっかり一歩一歩確実に踵で踏みしめながら油断せずに下がりました。
しかし、しばらく続く急斜面を過ぎてしまえば、あとは雪がちょうど程よくクサっていましたので、転がるように走るように降りてきました。途中で「ナンカ、あまりに早く降りてしまうのももったいないネ。もう一度戻ろうか。でもあの急斜面はもういいからやっぱり帰ろう」等とおしゃべりしながら、とうとう降りてしまいました。
頂上では他にもいくつかのパーティーに出会いましたが、偶然にも昨シーズン朝日小屋においでになった方たちが何人もいらっしゃったり、スキーを楽しんでいる若いグループもいました。
下山は、頂上から取り付きまで約1時間50分(かなり早かった)、林道歩きが約1時間。午後4時半車へと戻ることができました。
まさか今回、父が大好きだった山・初雪山へ行けるとは思ってもいませんでしたがそのチャンスに恵まれ、連れていって下さった花じいさん・ターさんはじめ皆さん、本当にありがとうございました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020415a.html
好条件に恵まれ、メンバーに恵まれ…
2002-04-15
快適な春山を楽しむ、しかしこの後恐怖の直登が待っていた
初雪山を背に photo by shun
今回登った「初雪山」は、春先の限られた時期にしか行けません。頂上までの登山道がなく、ブッシュに邪魔をされるからです。また頂上直下の急斜面が、その年その時期の雪の状態でどのようになっているか分かりません。今年になって少しづつ低山などを徘徊(?)している私ですが、まだまだ本格的な春山など行けないと思っていました。
しかし、花じいさんとターさん・シュンちゃんが計画していた山行に誘われて、初めは「今の私の実力では、まだまだ初雪山は無理だと思う。もし連れて行って貰えたとしても、足の遅い私がいたら念願の頂上まで時間的に辿り着けなくなるかもしれない。また、もし何かあったら他の人に迷惑を掛けることになるといけないから、今回はやめておく」とはっきり言ったのです。
それでも「リーダーもしっかりしているし、大丈夫だと思うからぜひ一緒に行こう」と、もう一度誘われて気持ちは傾きました。到底自分だけで行ける山ではないし、誰にでも連れて行って貰える山ではないから、もし途中でダメだと思ったら一人で待っている覚悟で、憧れの山を目指すことにしました。
結果は…本当に行って良かったと思いました。
それでも今回は、雪融けが早く林道歩きが時間的にも体力的にも消耗が少なかった事、頂上直下の急斜面がアイゼンを使用しなくても良いくらいの適度な雪の状態でキックステップで行けた事、標高1,000m以上では強風は吹いたがそれでも天候に恵まれた事、リーダーはじめメンバーに恵まれルート取りも問題なく最短・最良のコースで行けた事…等などの好条件により頂上まで登ることが出来ました。
本当の事を言えば、前日の会合で同席した県警の古崎隊員や救助隊の谷口隊長、大和隊員など何人もの方達から、「林道歩きはかなり大変だ」「頂上直下の急斜面で、もし危ないと思ったら必ず引き返してくるように」…といくつもの注意をされていたのです。だから正直言って本当に行けるかどうか、頂上に立つまで半信半疑でした。
常々、「自分の実力と体力に合った山歩きを」と言っている私。自分が歩いてみるとつくづくそれを痛感します。更なるレベルアップを目指して頑張ります!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020415b.html
この急斜面で。。。
2002-04-15
急斜面を直登しながら、「大地(おおち)」方向を写す
この斜面は後ろを振り向けないくらい、かなり急でした。しかし、それでも何とかその様子を写真に撮らなくてはという思いで、ポケットからデジカメを取り出し、息を殺して身体を固まらせて撮った一枚。
写真ではなかなかその雰囲気は出なかったようですが、横を向くのが精一杯でした。
でも写真を撮らなくてはと考えることが出来たというのは、まだまだ余裕!?(笑)
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020415c.html
『どうしても、気になる山』
2002-04-15
大平川沿いに行く林道途中から見上げる「初雪山」
「どうしても気になる山なんですよねぇ。。。」…これは昨年から、私の主治医のY先生が何度かつぶやいていらっしゃった言葉です。“今年はどうしても初雪山へ登りたい”という先生の想いを叶えるべく、連れて行ってくださるメンバーを探していたらシュンちゃん達が計画しているというので、先生の同行をお願いすることが出来ました。
ところが、シュンちゃんが全く同じ言葉を口にしていました…「ナンカ、気になる山なんだよねぇ。どうしても登りたいんだなぁ」
これって“男のロマン”じゃないでしょうけど(笑)、ずっと気になってしょうがないという想いは、「夢にまで見た初雪山でした」(Y先生)というほど恋焦がれるようになり、やがて“そっと手を触れることが許された”いう風に、ついにその想いを遂げることが出来たのです。
そういえば、私の小学時代の恩師である湯口康雄先生は、その著書の中で初雪山についてこう書いておられます。
『…わたくしは、一般にいう名山ももちろん名山だとは思う。しかし、そこから落ちこぼれた山のほうにも思いがはしる。そんな山のひとつが、実はこの初雪山である。一山をもってそれだけで大観をなしているようにすら思う。ことに、オリオンの下に冷たく光る積雪期がいい。…』
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020415d.html
「続・日本百名山」第12号と、「山渓」5月号
2002-04-15
初雪山頂上から見る朝日岳・前朝日岳
真ん中の三角形に見える山は、白馬旭岳
その前にポツンと朝日小屋が、でもすごくはっきりと見えた
頂上付近はかなりの強風が吹き、まともにデジカメ写真が撮れなかったのがとても残念でした。がしかし、これほど朝日岳と朝日小屋がドーンと目の前に見えるとは思ってもいませんでした。
さて、「週刊・続・日本百名山」(朝日新聞社)の3月28日発売第12号に、雪倉岳が掲載されていますが、その中で朝日岳と朝日小屋についても紹介記事が載っています。取材はされていないのですが、ちゃんと管理人の名前も、女性であるということも(笑)書いてありますので、もしよろしかったらご覧下さい。
また先日来予告していました、「山と渓谷」(山と渓谷社)5月号が今日発売されました。私の書いた記事は
p.244 “小屋番三六五日、リレー連載第13回”の中で、見開き2ページ
— 「新米管理人」、2年目の夏へ — と題して掲載されました。
決して本を買って下さいとは言いませんから(笑)、機会がありましたら読んでみて下さい。
今までこの「管理人日記」にも書いたような内容ですから、目新しい事はないのですが、昨年からの自分の気持ちを整理しつつ、2年目のシーズンに向けた今の気持ちを分かり易く書いたつもりです。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020415e.html
「富山弁」がワカラナイ!…てらちゃん編
2002-04-22
今日の朝日岳…雲ひとつない“ピーカン”のお天気で、雪融けも進む
今朝の地元K紙に「富山弁」についての話が載っていました。自分達は日頃何気なく使っている方言ですが、やはり異郷の人が理解するのはかなり大変。
「富山弁」にまつわるエピソードも、昨シーズンの朝日小屋ではいろいろありました。今日はその中からとっておきの「てらちゃん編」を。。。
広島出身で東京で学生生活を送っていたてらちゃんは、他のアルバイトのみんなよりひと足早く7月14日に入山して来ました。見るからにおっとりしていて、話していても必ず相手の目を見て「はい、はい」と頷きながらニコニコと聞いているその様子からは、私のような“がさつな”ところは全く見受けられず、いかにも育ちの良い“好青年”の雰囲気が漂っていました。
そのてらちゃん、来た早々ちょっとした失敗もあったりして、私は殆ど気にしていなかったにも関らず、どうやら本人はかなり緊張の日々を過ごしていたらしい。本当はいつ逃げ出しても(笑)おかしくないアルバイト生活だったとか…(あとから聞いた話、でも私はしっかりいろいろ気付いていました)。
てらちゃんにとって、私のしゃべる「富山弁」はポンポンポンととても早口で、頭ごなしにまくし立てられているようで、まして何を言っているのか訳の判らない言葉ですから、毎日毎日怒られているようだったのではないでしょうか。私もそんな事にもっと気を配ってあげるべきだったのですが、哲也が割合すんなり順応していましたし、ゆっくり噛み砕いて標準語で話してあげる余裕もありませんでした。
あれはてらちゃんが小屋入りしてから、まだ何日も経っていない日の夕方。その日は朝日小屋の発電機関係の面倒を一手に引き受けてくれている“ヨモじい”が上って来て、そのまま哲也と一緒に水平道へ草刈りに行ってくれました。「そんなにお客さんも多くないだろうから、夕方遅くなるまで帰って来ないぞ」そう言い残して出掛けました。
小屋には私とてらちゃんの2人だけ。ところがゆっくり構えていたのに夕方続々とお客様がおいでになって、20名近くに。さあ慌てて準備に取り掛かりましたが、はっきり言っててらちゃんはまだ何も分からず、私一人で受付もして、バタバタと夕食の仕度も…そのうち発電機を回して電気を点ける時間になりましたが、まだ自信がない風なてらちゃんだったので私が地下の発電室へ駆け下りました。
ところが。。。順番にスイッチを入れたはずなのに、発電機は回ったのに肝心の電気が点かない!! 小屋の中は段々薄暗くなって来るし、夕食の準備にも支障が出そう…
「てらちゃん、水平道へ走って行って、ヨモじいに事情を説明してどうすれば良いか聞いて来て!!」「ハイ!」…そうしっかり返事をしててらちゃんは駆け出しました。
そしてしばらくして、荒い息でてらちゃんが戻って来ました。「どうやった!?」「あの、あの…」「どうしろって?」「あの…」「何やって?」「あのそれが…、よく分からなかったんです…」「エーッッ、あんた何しに行ったがけ?もういいわ、あの2人が帰って来るまで待つしかないわ」
電気の事はとりあえず諦めつつ、そう言い放って再び夕食の支度に掛かりましたが、暫くしてポッと電気が点きました。地下からてらちゃんが上って来て「ゆかりさん、点きました!」「スゴイじゃないてらちゃん、どうして直った?」「ナンカ、ただ、スイッチがひとつ入ってなかったんです…」ゴメンなさい、結局は私の単純ミスでした。
その夜、いろいろ話を聞いてみると。。。
とにかく水平道を大急ぎで走りに走って、ヨモじいと哲也が草刈りをしている現場に辿り着きました。しかし「あの、あの…」と説明するてらちゃんに、『コテコテの富山弁』プラス『朝日町・山崎弁』丸出しのヨモじいも一生懸命説明してくれたはずなのですが、これが何度聞き返しても全くチンプンカンプンで全然分からない。5回も6回も聞きなおしたそうです。その内、「しゃー、ばー、おらたつ、もうすぐ帰って来っから待っとれ!」と言われたらしい(笑)
早口なのでもちろん分かり難いのでしょうが、「しゃー(それは、そしたら、の意)」「ばー(おまえ)」「おらたつ(俺達)」…とにかく何を言われたのか全然理解できず、とにかく小屋に帰って来たらまたまたゆかりに呆れられる始末。何とかしなくては、と発電機をいじっていたら点いたので、ホーーッとしたという事でした。
「てらちゃん、あんた、分からんかったらちゃんと言わんとダメやよ。分からんかったら分からんて…」そうは言っては見たものの、無我夢中のてらちゃんの様子を想像しただけでナンダカ可笑しいやら可哀想やら(笑)。
普段の私の言葉といえば、語尾に何か付けるのが特徴でしょうか。「…やっそ」「…がけぇ」等など年を重ねるにつれて段々それが激しくなって「富山弁」が強くなっていくような気がします(笑)。
それ以降も、てらちゃんの富山弁への理解はなかなか思うように進まなかったようですが(笑)、それでもいつもニコニコと「はい、はい」と優しく頷いていた彼でした。今頃きっと新社会人として、あの人懐っこい明るい笑顔で頑張ってくれていることでしょう。朝日小屋でも逃げ出さずに最後までやり遂げたのだから、きっと大丈夫!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020422a.html
何だか、身辺慌ただしく…
2002-04-22
昨日行なわれた、大蓮華山保勝会の「山野草を山へ戻す運動」の様子
初雪山へ行った様子を日記に書いてから、あっという間に早や1週間。先週は何だかドタバタと出入りが多く、ゆっくりと日記を書けませんでしたが、Kさんから「いつも楽しみにして、毎日見ているんですけど…」というメールを頂きました。有り難うございます。
14日(日)の初雪山は、標高差からすると北又から朝日小屋までを日帰りしたようなもので、それなりに少しの疲れもありました。18日(木)は、富山市で開催された「外食産業フェアー」に行ったり、続けて翌日も県庁の自然保護課他へご挨拶回り、土曜日は中学校の授業参観やPTA総会、そして21日(日)は大蓮華山保勝会の事業として行なわれた「山野草を山へ戻す運動」「中山間地粗大ゴミ調査」への参加…等など。
今週以降は、朝日岳方面遭難対策協議会(遭対協)の理事会や総会、町観光協会の総会等会合も立て続け。そして26日〜はさわがに山岳会の小野健さん達と白鳥山・栂海山荘への“除雪山行”(今年は小屋を掘り出すこともなさそう)、5月2日〜は立山室堂山荘へお手伝い…とバタバタします。
5月には亡父の3回忌もありますし、保勝会の登山研修会やら、またまた予定は詰まって来ました。連休明けからはそろそろ本格的に物資の調達などが始まります。
先週辺りから、シーズンのご予約やお問合せの電話等もボチボチ入って来ています。
今日は僧ヶ岳の「虚無僧」の雪形が、黒部市内からはっきり確認する事が出来ました。もう少しゆっくりしていたいような気もしますが、小屋開けまであと2ヶ月を切りました。身辺も、私の気持ちももう一段ギアチェンジ!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020422b.html
明日から犬ヶ岳、そして5月2日からは立山室堂山荘へ
2002-04-25
初雪山から見る犬ヶ岳の稜線、いかにも堂々とした風格 02.4.14
4月末の連休に、白鳥山・犬ヶ岳へ行って来ます。
昨年の10月、栂海山荘の小屋閉めにさわがに山岳会の小野 健さん達とご一緒させてもらった時に、「来年は栂海山荘の“除雪山行”に行きませんか」とお誘いを受けていて、それが実現し今回同行させていただく事になりました。
26日は坂田峠〜白鳥山(泊)、27日・白鳥小屋〜栂海山荘(泊)、28日・栂海山荘〜黒岩平往復(泊)、29日・栂海山荘〜白鳥山〜坂田峠下山、の予定です。本当は28日に下山してくるつもりでいましたが、黒岩平まで日帰りで行く計画があるので、やっぱりこれを逃してはいけないと(笑)全日程に参加します。
犬ヶ岳〜黒岩平はまだ歩いていませんから、今回の山行で栂海新道も坂田峠まで貫通する事になります。あとはいよいよ坂田峠〜日本海を残すのみ。
正直言って、すごくワクワクドキドキしています。
3泊4日で山を歩くというのは初めてで、何だかホンモノの「山やさん」に一歩でも近付けるかしらという期待感(かなりミーハーでゴメンなさい・笑)。でも小屋泊まりとはいえ、もちろん全て自炊なので、食料・行動食など個人装備がそれなりにあって、皆さんに迷惑を掛けずにちゃんと歩けるか心配です(いつもの事なのですが)。何しろ、登っては下る、下ったと思ったらまた登る、その連続の長い道のり。しかも雪の状態が判らないので、急斜面でモタモタしないかという懸念もあります。
考えてみれば、昨年9月に森下さんと蓮華温泉〜白馬岳を2泊3日で縦走した時は、食料諸々森下さんに担がせてしまって自分はただ歩くだけの情けなさでしたし、10月の栂海山荘の2泊3日も哲也とてらちゃんが一緒だったので、私は自分が一生懸命皆さんに付いて行くだけ。
小さい時からの私の山歩きは、北又〜朝日小屋の往復、それも小屋に行けば一応何でも使える立場にあったので、本当に必要最低限の荷物で身軽に登る・身軽で歩く、という事しかしていませんでした。少しづついろいろ山を歩き始めたこの頃では、いかに「荷担ぎ」が大変か、自己責任でちゃんと自分の分担を担げるように、という基本が良く判って来ました。今まであまりに甘えすぎていましたネ。
頑張って行って来ます。また春の栂海新道の様子もご報告しますから、お楽しみに!
そして犬ヶ岳から帰って来てから、5月2日〜5日の予定で立山室堂山荘の妹の所へ手伝いに行って来ます。昨年は1泊だったのですが、今回は3日・4日とお客様が多いようなので、少し長く居ることになりました。
出来れば、雄山に登るか、剣御前小屋に行ってみたいと考えていたのですが、どうやら人手も足りず忙しくてそれどころではなさそうなので、今回は断念します。妹に「何処かへ行きたい?」と聞かれ、「まあね、ヒマがあったらと思っていたけど今回は止めておくわ」と返事をしたら、「好きやネ。だけど、山ばっかり歩いているらしいけど、どうなったん?」と言われてしまいました(笑)。
室堂行きの様子も連休明けには「日記」に書けると思いますので、お待ちください。連休の間中、長期に家を留守にするので、我が家の食事計画も準備万端整えて…今日は午後から会合もあるし、さあ忙しいゾ!
皆さんもそれぞれ連休中の楽しい山行の様子などを、また掲示板に書き込んで下さいネ。では。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2002/04/d20020425a.html