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小屋開けまで、ちょうど2ヶ月!!
2004-04-13
可愛らしい花をつけた、イワナシ 負釣山 04.4.11
今シーズンは、6月13日(日)にヘリコプターでの上山・小屋開けを予定している朝日小屋。04シーズンの始まりまで、ちょうどあと2ヶ月となりました。
考えてみれば、昨年同様のパターンが続いたシーズンオフでした。
「プチ鬱」になりそうだとか何だとか、モタモタ言っていた年末年始が今となっては懐かしく(苦笑)、娘たちの試験・卒業・入学・就職とバタバタした2月〜3月〜4月上旬と過ぎて、気が付けばもう60日したら、私は今年も『雲上びと』になるのです…ね。
でも…
忙しい忙しいと言いつつ、たまにはガクンとペースが乱れて取り乱してしまったり、時にヒマと我が身をもてあまし気味ではありましたが、いろいろな山を歩き、さまざまな出逢いを重ね、打合せだ会合だパーティーだと、やはり『仕事』と『山』に没頭した充実した半年でした。
あと2ヶ月、どんどん予定は詰まってきました。未だいくつかの山行きと会合が予定されています。もちろん、これからは間違いなく小屋開けとシーズン中の準備に追われてきます。
「早く小屋に行きたいって、言ってたじゃない!」…と、ひろみさんにも言われました。
そうなんです(微笑)。シーズン入り前の期待とちょっぴりの不安も抱えながら、でも朝日小屋の今シーズンまであっという間ですネ!!
負釣山からはっきり見えた朝日小屋が、小屋開けの日を心待ちにしてくれているようでした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040413c.html
シーズンを前に、あれこれと
2004-04-14
明るい陽の中で、カタクリの花 負釣山 04.4.11
今日は富山市内で大きな食品見本市が開かれていたので、実家の末妹と二人で出掛けて来ました。
お客様の夕食や朝食、そしてお弁当の食材はもちろん、アルバイトのみんなが食べる三度の食事のことをあれやこれやと考えながらの品定めです。
昔のように、発電機を止めてからランプの下で夜中まで厨房で作業をするということは殆どなくなりましたが、それでも山小屋というのはかなり特殊な仕事環境にあります。シーズン中のホンの数日間の「超・イソガシイ〜!!」日の為に、有り余る人員を確保することはやはり難しいので、どうしても限られた人数で作業をします。
お客さまに提供する様々なサービスの質を低下させること無く、段取り良く仕事を進めるためにどうしたら良いか、そんな事をいろいろと考えながら食品見本市を見て廻りました。
特に今回は、厨房機器が展示してあるコーナーに興味がありました。
朝日小屋の中、特に厨房の中は、私が管理人になってからの三年間、毎年「モノの置き場」が移動しています。
「ゆかりさん、また去年と違っています…ネ!?」「覚えられないょぉ〜!!」とみんなに半ば呆れられながら、苦情を言われながらも、未だ『考え中』の私(苦笑)。全体的に、お客様の食事準備のために厨房に入る時間がかなり多い山小屋の仕事ですから、どうしたら効率良く仕事ができるかを、毎年試行錯誤しています。
特に昨年は食器を全て陶器に替えたのですが、それに伴って食器保管庫が入ったりして、厨房の中はまさに「大移動」の連続でした。
昨年のシーズン後半には、大事な大型冷凍ストッカーが一台完全に壊れてしまいました。また、使っていた家庭用の冷凍冷蔵庫も“寿命”が来てしまい、今年はどうしても買い換えなければなりません。
今の朝日小屋が建ってから、今年で丸19年になります。大蓮華山保勝会と亡父が準備したその当時からの厨房設備も、大事に使っていてもそろそろ使い勝手が悪くなったり買い替えの時期を迎えているものもあります。
今年は、またまたどうなることやら…。あれこれシュミレーションする毎日が続きそうです。
久し振りにゆっくり末妹といろいろ話しながら、相談に乗ってもらいながら、気持ちはもうすっかり「山の上」でした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040415a.html
ラジオから流れてきた、自分の声
2004-04-15
花盛りだった、マンサク 負釣山 04.4.11
今夜、地元のコミュニティー放送“ラジオ・ミュー”の「山川野遊びのすすめ」という番組から私の声が流れていまして、今その放送を聴き終わったばかりです。(番組は、録音でした。富山県内でも、新川地域でしか聴けないのですが。)
管理人になってすぐの頃、実妹がアナウンサーやパーソナリティーをしていた関係で、同じ番組に出させてもらったことがあるのですが、それからしばらくぶりに出演させて頂きました。
ナビゲーターを務める本丸さん(芸名!?)とは顔見知りということもあり、収録もスムーズにいったのですが、一体何を喋っているのか、ラジオからはどんな風に聴こえてくるのかを知りたくて、ちょっとドキドキしながら30分の番組を聴いてみました。
何だか、聴こえてきたのはホントに私!?…という感じで、かなりスマシていましたねぇ(笑)。
前回は妹も一緒だったので、「どれがどっちの声?」と言われるくらい似てしまったというアクシデントもありましたが、今回は2回目ということもあり、我ながら少しは落ち着いていたかしら。本丸さんや、もう一人のアナウンサーの方の“誘導”がとっても上手だったからでしょう。
正直言ってというか、心の片隅のどこかには、あまり新聞やら雑誌やらテレビやら諸々に出るのは…と思ってしまう時もあるのですが、そういう機会を通じて、山の魅力や小屋の管理人の思いを少し分かってもらえたらいいかなぁ、と考えています。
今回の番組には、来週の木曜日(22日)にも出演させて頂いています。当日は、本人は多分犬ヶ岳の栂海山荘に行っていますが、録音済みなのであしからず。
今日聴いて下さった方がおいででしたら、拙い話でゴメンなさい!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040415b.html
飲めないくせに…(苦笑)
2004-04-16
里山の花、ショウジョウバカマ 負釣山 04.4.11
夢を見ました。とても美味しそうに、日本酒を飲んでいる私…。
両親に似て、お酒はかなり弱い私です。
ジュースだけを飲みながら2次会・3次会と付き合っていた亡父に似て、宴会の場は大好きで、楽しい飲み会に誘われれば殆どお断りしたことはありませんし、お酒が入ればカラオケに興じて十八番を歌うこともします(苦笑)。
でもお酒が弱いのは自分でも充分承知していて、記憶がなくなるまで飲むということはありません。酔いが回ってきたなぁと自分で感じたら、あとは必ず「お茶のガブ飲み」で“リセット”するようにしています。
そんな私が、夢の中では何だか酒豪のような顔をして、粋に美味しそうに盃を傾けていたから、あら不思議。これって、一種願望かしら(微笑)。
そういえば先日ある飲み屋さんでママさんが、コバルトブルーのとても綺麗な透けたガラスの一升瓶に入ったお酒を「これ、お出ししましょうか?」と私たちに勧めて下さって、皆で頂きました。
今から思えば、日本酒だったのか焼酎だったのか何が何だか分からずに、それでもグラスに注がれてひと口喉を潤した私は「美味しい〜!!」と感激していたように記憶しています。なんて名前のお酒だったのか、ちゃんと聞いておけば良かったナ。
山の上まで、時々ワインをお土産に持って来てくださる方もいらっしゃいます。美味しいワインを頂いて感激することは多いのですが、やっぱり記憶力の無さも天下一品で、どうもお酒の名前は覚えられません。(お酒だけ?)
酒屋さんへ行くと、今度は絶対にあのワインをと思っていても「え〜っと、どれだったけ!?…ドイツワイン、フランスワイン、イタリアワイン、チリだったか、それとも…」もう能書きなんてどれもこれも同じに見えてくるから、ダメですねえ(苦笑)。
お酒を知らないから、そう思えるのかもしれませんが、最近は「日本酒の“冷や”って、なんか美味しいかも!!」などと、思っている私。
私の理想(夢?)の姿は、と言っては大袈裟ですが…、
お客様の少ない静かな山小屋で、「小屋のオヤジ」よろしく、集まった皆さんと盃を酌み交わしながら、夜が更けるまで囲炉裏端でぼそぼそとよもやま話を語ること、デス。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040416a.html
『山がくれた百のよろこび』 山と渓谷社編
2004-04-17
初雪山山頂より、犬ヶ岳を望む 04.3.14
『山がくれた百のよろこび』という本が、山と渓谷社から4月15日に刊行されました。
“山渓”の4月号・5月号にも案内が載っていましたが、それによると…
「山好きの著名人、登山家ら137人が綴るショートエッセイ集。
爽快感、達成感、心の健康、体の健康ほか、山登りによって得られるさまざまな“よろこび”や出会った人々、山でひろったちょっといい話など、執筆者それぞれの視点から、ほろりとくるようないい話を寄せてもらいました。
立松和平さん、不破哲三さん、山野井泰史さん、平山ユージさんほか 」
この場をお借りして、「言い訳」をします。
実は…、
この本、私も書かせて頂きました。
急なお話で、しかもいつもダラダラと書いている私にはちょっと苦痛な「字数に制限あり」だったり、依頼された内容も「う〜ん。。。」と考え込んでしまって、締切り間際にあたふたと書いたこともあり、果たして思うような内容に仕上がったかはかなり疑問です。
それにしても…、
送られて来た本を手に、何だか赤面して、冷や汗まで出るようでした(かなり、苦笑)。
とにかく、前述の錚錚たるメンバーどころか、徳仁親王(皇太子殿下)や、大袈裟に言えば日本の山岳会を代表するような方たちばかりが執筆していらっしゃる…。
これは、かなり「場違い」だったと思わざるを得ないコトになっていました。
「山」に関しては、ひと言もふた言もある有名な山小屋のオーナーの皆さんではなく、管理人になって4年目の私にとの依頼は、単にこの私の、ある意味“新鮮さ”が必要だったのでしょうか。それとも、このHPの存在などを通して「清水だったら、ナンカ書くだろう」と思われてしまったのでしょうか。
自分で好き勝手に「日記」を書いたりしている分には、余り気にはしていなかったのですが、さすがに今回は大勢の方々の中に埋もれてしまうくらいで、執筆者自身がかなり「あ〜ぁ。。。」という感じで、他の皆さんと比べても本当に稚拙な文章で何だか申し訳ありません。
それでも、今回このような機会を与えてくださった山と渓谷社の久保田さんはじめ、編集の皆さんには感謝しており、今後の“叱咤激励”と受け止めたいと思っています。
「ところで…、何を書いたの??」
まぁ、どこかで本を見つけたら、パラパラとめくってみて下さい。
もちろん、他の皆さんは素晴らしい内容で、心に残る文章を書いていらっしゃいますから一読の価値はあるかと思います。
今日は、とことん「言い訳」でした!ゴメンなさい!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040417a.html
肩
2004-04-18
初雪山山頂にて 04.3.14
用事があって、芦峅寺の妹の所へ行って来ました。
かなり以前から、自身の「中年太り」が気になっている私。
年齢的にみても、ある程度仕方のないこともあるのだけれど、どうも腰周りやその他に思いっきり“肉”が付いて、どんどん“醜い体型”になってきていると自覚しています。
40代になると仕方がないのだろうか、これも自然の摂理とばかり、パクパクと食べてはゴロゴロしているばかりのシーズンオフを省みずも、毎朝体重計に乗っては悶々と思い悩む日々が続いています(苦笑)。
以前の日記にも書きましたが、山へ行って結構汗をかきハードな運動をしたつもりでも、山から帰った後には必ず体重が増えているのですから、これはもしかしたらある種の「職業病」なのかと都合良く考えてみたり…(苦笑)。
さて、私から見てもかなりスリムな妹。
「ねぇ、アンタの首周りも結構“貧弱”だからさぁ、私の腰からでも首からでも“肉”を持っていく?あげるヨ!」などと、女兄弟ならではの冗談を言うと…。
「ねぇ、それってもしかしたら、リュックを担ぐからじゃないの?こんな私でも、高校時代の山岳部の頃って、肩がやけにずんぐりと盛り上がっていたよ!」
そういえば…
30代後半のある日、首周りがナンだかヘンだなぁと気付いた時、それがまさに「中年太り」の始まりで、それが首の後ろ側に付いた“余計なお肉”だと知らされるまでには当時少しの時間が掛かりました。
しかし、そんなこともあって、最近気になりだした今回の肩の盛り上がりはてっきり、またまたあの“余計なお肉”だとばかり思っていたのですが。。。
バナナ一本持つのも嫌だ、テルモスなんて重たくって誰か担いでくれないかな…などと、「自己責任」とはほど遠い戯言を言っていた頃はいつしか過ぎていき、それなりの荷物も担げるようになったと内心喜んでいる私なのですが。
この『肩の盛り上がり』は、「中年太り」か、はたまた「山歩きの“勲章”(代償?)」か。
かなり微妙な問題です。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040419a.html
しばらく、留守に…
2004-04-20
ピンク色が鮮やか、イワウチワ 負釣山 04.4.11
バタバタと、これから出掛けます。
今日は馬場島の近くで、知り合いの方達と1泊。
明日の朝早く帰って来て、そのまま白鳥山へ向かいます。翌22日から、さわがに山岳会の小野 健さんたちの「除雪山行」に合流する為、遅足の私は、ひと足早く白鳥山へ登ることにしました。
戻って来るのは24日なので、しばらく日記はお休みさせてください。
では、行って来ます!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040420a.html
『栂海山荘除雪山行』
2004-04-27
朝陽の中の白鳥小屋 04.4.22
私の山歩きの中でも、毎年の恒例となった『栂海山荘除雪山行』。
今年も、21日〜24日の日程で行って来ましたが、まさに「春山の楽しさを満喫し、そして春山の怖さを知る」山行となりました。
さわがに山岳会・小野 健さん達の除雪山行ですが、今年の私は都合もあって、皆さんより一日早く入山して白鳥小屋に泊まり、翌日栂海山荘で小野さん達と合流、皆さんより一日早く下山するというスケジュールになりました。
21日午後は、坂田峠から出発。同行はカタクリクラブの小野茂信さんとカメラマンの森下 恭さんで、この夜の宿泊は白鳥小屋です。
しかし、いきなりの金時坂の急登はいつもいつも本当に辛いのです。私にとってはまさに『春の行』。。。(苦笑)
せっかく咲いているカタクリやイワウチワの花を愛でる余裕も無く、「なんで来たんだろう…、帰ろうか…、帰りたい…」そんな問答を繰り返しながら、とにかくどうにかシキワリの水場まで登りきってしまうと、後はどうにか白鳥小屋を目指すことができました。
夏を思わせるような陽気の中、ほぼ予定通りに小屋に到着。
早々と始まった3人だけの宴でしたが、「おい、ゆかりちゃん。どうしたんや!?」の声もいつしか遠く、疲れていたのでしょうか、夕食も殆ど摂らずにむにゃむにゃと寝言(うわ言?)を言いながら、私はナント夕方6時半からすでに深い眠りに落ちてしまったのでした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040428a.html