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やっぱり新聞記者だった!!
2008-03-30
携帯電話で“デスク”と連絡を取りつつ、私の記事を書くシモちゃん 08.3.25
彼女が初めて朝日岳に登ったのは、6月の山開き登山会でした。
初めて山らしい山に、それも残雪の頃でしたから、いくら若いといっても、それなりに大変だったことでしょう。
それから何度となく、里で山で、彼女と一緒しましたが、突撃精神旺盛な彼女は、ちょっぴり「怖いもの知らず」。
そんな彼女の、真剣な仕事ぶりを真近かで見て、「シモちゃんは、やっぱり新聞記者だった!!」と再認識した、札幌の夜でした。
ちなみに…講演会の様子は、26日付けA新聞(北海道版)に載りました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/03/d20080330d.html
札幌で、元気をもらって
2008-03-30
高級ホテルに、一人で泊まる 札幌の夜
前泊は、用意してもらった高級ホテルで。
ホントに、自分では決して泊まれないような、贅沢な宿でした。
そして講演会が終わった夜は、シモちゃんのワンルームマンション。
若い女の子の、でも学生でないキャリアウーマンの部屋。なかなか良かったです。
“すすきの”という賑やかな街も、歩いてみました。なかなか良かったです。
東京とんぼ返りなどはありますが、こんなゆっくりした『ひとり旅』は、今までなかったかも。“良い夢”を見させてもらいました。
講演を聴きに来て下さった北海道の皆さんにもお会いできて、旅をしてリラックスも出来たし、いよいよシーズンインに向けて、どんどん気持ちも高めていきますね。
妹の結婚式や北海道行きという、大きな行事も終わり、4月5月そして6月の小屋開けまで2ヶ月と少しとなりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/03/d20080330e.html
懐かしい顔を見たくて…函館
2008-04-01
鮎美ちゃんと歩いた、赤レンガの街 函館にて 08.3.26
鮎美ちゃんは、8年前、私が管理人になった初めての年から2シーズン、朝日小屋のアルバイトをしてくれました。
富山県内の出身で、私の3女・かなえの高校の先輩。山岳部の先輩です。
縁あって、朝日小屋でアルバイトをしてくれたのですが、ホントにホントに、とっても「頑張り屋さん」。
いつも笑顔を絶やさず、嫌な顔ひとつしないで、一生懸命働いてくれました。
そんな彼女は、高校卒業後に製菓の専門学校を出て、その後函館のお菓子作りの会社に就職しました。
時々手紙をくれたり、会社で作っているチョコレートやお菓子を送って来てくれたりする心の優しいお嬢さんです。
そんな彼女に会いに、今回の旅では函館まで足を延ばしました。
二人で、いろんなコトを話しながら歩いた函館の街。
ガンバレ、ガンバレ、鮎美ちゃん!!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/04/d20080402a.html
朝市にて
2008-04-01
函館朝市にて 笑顔とおしゃべりが面白かったお店のオバさんと 08.3.26
鮎美ちゃんは、早朝から出勤しなくてはいけないので、迷惑が掛かってはいけないと、その夜は一人で赤レンガ倉庫街に近いペンションに泊まりました。
翌朝(帰富の日)、函館朝市へ。
「絶対に、美味しい“海鮮丼”を食べよう!」と決めていたのに、あっちで味見、こっちで試食、とやっているうちに、何だかお腹一杯になってしまって、大好きなカニやホタテが山盛りの“海鮮丼”を食べそびれてしまいました。
あ〜ぁ…。
心残りは、せっかくの朝市で“海鮮丼”を食べなかったこと。
やっぱり今度、もう一度行かなくっちゃ!
…ネ。
でも、懐かしい顔を見たし、観光地も歩いたし、函館朝市も堪能したし。
ステキな旅でした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/04/d20080402b.html
「宿題」がやっと終わって…
2008-04-04
ネオンが眩しい、札幌・狸小路 08.3.24
北海道にて。
新千歳空港で、帰りの飛行機を待っている間、ルンルンとお土産などを物色していたら、携帯電話が鳴りました。
役場のS君から。
「ん…!?」
「ゆかりさん、未だ北海道ですか?」
「そうだよ、どうした?」
「あの、お楽しみのところ、本当に申し訳ないのですが。。。」
役場で遭対協の事務局を担当しているS君からの電話は、まさしく『仕事』の電話!!
例年だったら4月末に開催される遭対協の年次総会が、今年は関係者の都合により、2週間も早く開かれることになったとのこと。
それに伴って、理事会がそれ以前に開かれるので、私に「資料の提出」を請求する電話だったのです。
あ〜ぁぁ。。。
楽しい気分も一度に吹き飛んでしまい、いきなりの“現実”が待っていました。
その資料を作る為には、昨シーズンのいろいろなモノを引っ張り出して、それなりの時間が掛かり結構面倒な作業があるので、私としては北海道から帰って一服してから始める予定だったのですが。。。
もちろん、そんなことは言っていられませんでした。
その宿題も、ようやく今日提出することができ、ホ〜ッッッ…。
異動の時期でもあり、連日来客も引っ切り無し、用事もあった中で、期日内に宿題が終わり良かったです。
その担当のS君も、今回異動になりました。
彼はあまり山も歩いたことがなかったのですが、夏山事前パトロールに参加するなど、“決死の覚悟”で仕事に臨んでくれました。本当にご苦労様でした。
そんなこんなの、春4月の始まりデス。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/04/d20080405a.html
4月になったとたん…
2008-04-15
朝日岳方面山岳遭難対策協議会 平成20年度定期総会 08.4.14
あれよあれよの、10日間でした。
「やっと宿題が。。。」の日記から、“あッッッ!!!”という間に時間が経過。
決して遊んでいたわけではなく、結構「仕事モード」でした。
2日は、日中にヘリコプター会社との打ち合わせ。夜は、富山市内で勉強会。
3日は、異動になった山岳警備隊々員の方々の歓送迎会。遭対協主催。“激しい!”夜でした。
6日は、再び、警備隊の方々の歓送迎会。朝日小屋主催。お世話になった関係者の皆さんが大勢集まり、長時間賑わいました。
7日、遭対協の理事会。総会に向けて。
9日、富山市内にて、外食産業フェアー。今年の『朝日小屋らしい、おもてなし』を考える、大事な場です。
11日、アルバイトのM君が来訪。今年の打ち合わせをした後、懇親。
12日、大蓮華山保勝会の定期総会。
朝日小屋はこの保勝会が所有していて、私も会員であり管理人であるわけなので、会の年間方針や会計は、私にとっても朝日小屋にとっても大切な活動の基本となります。
13日は、“母親孝行”の日。
そして昨日・14日は、遭対協の総会。
この後は、明日も業者さんとの打ち合わせが入っています。
4月になったとたん、一気に「仕事モード」へ!!!
立山・剱岳方面では、17日のアルペンルート全線開通に向けて、山小屋関係者の入山もあり、準備が急ピッチで進められています。
そうですよね…、当たり前ですよね…、
朝日小屋でも、小屋開けまで、あとちょうど2ヶ月になりましたから。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/04/d20080415a.html
黒川さん、お世話になりました!!!
2008-04-15
有難うございました、黒川さん!! 春山訓練にて 08.4.9 photo by S
この春の異動で、富山県警山岳警備隊の黒川隊員が、2年間の入善署勤務から魚津署・魚津駅前交番勤務に異動になりました。
朝日岳・朝日小屋を中心に、保勝会や関係者の皆さん、そして朝日小屋スタッフとも、公私共にとても親しいお付き合いをして頂きました。
昨秋の小屋閉め・下山時には、思いもよらぬアクシデントの中、黒川さんからは『私が、責任を持って』という言葉を掛けて頂き、その言葉通り、本当にお世話になりました。
富山県警山岳警備隊員の、真の実力と、それを支える強い精神力を思い知った場面でした。
ご実家がお肉屋さんで、シーズン中の朝日小屋や遭対協の訓練などに、上等のお肉を担いで来て、みんなを喜ばせてくれました。
また私個人としては、遭対協の訓練の度に、力不足の私をいつも思い遣って下さり、フォローしてもらい感謝しています。
沢の訓練の時、「ズリッ!」と足を滑らせた私でしたが、後ろから付いてくれた黒川隊員が『ガシッ!』と私の臀部(お尻とも言います!)を受け止めてくれた時のことが忘れられません(苦笑)。
カラオケでは、度々「天城越え」をふたりで“熱唱”しましたね。
山岳警備隊員としては、今度は分隊長として魚津署に赴任されました。魚津署管内や毛勝岳方面の山岳警備に当られます。
また、朝日岳へも遊びにいらして下さいね。
恒例となっている、秋の町民駅伝大会も楽しみにしています。
今後ともお元気で、益々仕事に精進されること、願っております。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/04/d20080415b.html
谷口さん、お世話になりました!!!
2008-04-15
有難うございました、谷口さん!! 春山訓練にて 08.4.9 photo by S
富山県警山岳警備隊員の谷口さんは、6年間勤務して下さった入善署から、今回の異動で、上市署立山町交番勤務となりました。
私が管理人になって2年目に、谷口さんは魚津署から異動して来られました。あれから6年も経ったのですね。
山開き登山会、夏山事前パトロール、春秋の訓練、…いろいろな場面で、本当に思い出は尽きません。
谷口さんは送別会で、「朝日岳遭対協に育ててもらいました!」と言葉を述べておられました。
私が口にするのも変ですが、20代後半から30代前半にかけて、伸び盛りのこの6年間で、警備隊員として多いに知識を吸収し技術を磨いた、入善署時代だったのではないでしょうか。
体重をグッと落としてトレーニングを積み、富山県を代表してマッキンリー遠征にも参加され、大きな成果を上げて来られましたね。
また、様々な用具の開発・工夫にも取り組んで、表彰も受けられました。
(今朝のK新聞にも、載っていましたネ)
骨折した登山者の事案では、夏山警備を終えて北又小屋に下山直後に連絡を受け、その足でまた登り返して2時間余りで朝日小屋に戻って来られた時には、ビックリしました。
また、平成15年の沢の遭難では、古崎分隊長とともに、何日も捜索に当られました。夜遅くなり、最後に黒岩平で古崎分隊長と合流した時の様子が無線から流れた瞬間は、ホッとしたのを覚えています。
夏山警備に登って来る時には、「訓練ですから」と、20K以上もある“入善ジャンボスイカ”をザックの中に入れて差入れしてくれましたね。
昨シーズン、黒パイプを切って「流しソーメン」のセットを作って、小屋のみんなを喜ばせてくれました。本当に、有難うございました。
谷口さんの笑顔とともに、山に向かう真剣な姿、忘れません。
立山剱岳方面の警備、大変でしょうけれど、頑張ってくださいね。
これから益々仕事に励まれますよう、お祈り致します。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2008/04/d20080415c.html