北アルプス 朝日小屋

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北又小屋 TEL 0765-84-8809
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 〒939-0711 富山県下新川郡朝日町笹川 清水ゆかり
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『魔の山大遭難・決死の救出劇』

2002-12-11

今朝の富山県地方は、大雪に見舞われた  我が家の前で

 今朝の富山県地方は、大雪に見舞われた  我が家の前で

 11月中旬にNHK・プロジェクトXで放送された『魔の山大遭難・決死の救出劇』のビデオを見ました。
 あらためて冬の剱岳をはじめとする山や自然の険しさや厳しさを認識させられると同時に、立山町芦峅寺の山岳ガイドや山男たち、そして富山県山岳警備隊の皆さんの偉大な力と深く結ばれた友情を思い、何度見ても涙してしまいます。
 “38豪雪”の年の「薬師岳・愛知大生大量遭難」を教訓に、翌昭和40年3月に発足した「富山県警山岳警備隊」。発足当初は、山の素人集団と評され、芦峅寺のベテラン山男達から指導を受けたといいますが、山岳遭難救助の現場は昔も今もまさに「命懸け」であることに変わりはありません。
 それから5年…昭和43年12月末から44年1月にかけて340人が入山し、金沢大学のパーティーを含めた15パーティー・81名が猛吹雪で山頂に閉じ込められたという、「昭和44年・剱岳大量遭難」。その時の実話を元に、番組は構成されていました。
 実は今朝の富山県地方は、昨晩から降り続いた雪が平地でもひと晩で40〜50センチ以上も積もったのですが、この日本海から吹き込んだ季節風の影響を受ける北陸地方の雪は、本当に何とも重く湿っているのです。
 これが北アルプスの高山であれば、氷点下の気温の中で大量の積雪に加えて風速30メートル以上の強風、地吹雪、そして出来る「雪庇」。。。
 管理人になってからの私は楽しい山行を重ねて、時々の『山』の素晴らしさや偉大さを心の底から感じるようになってはいますが、まだ本当の『山』の怖さには遭遇していません。しかし、山へ登る回数を重ねるほどに、的確な山の技術と知識の習得や経験の重要さ、頑強で且つ柔軟な精神力の養成、何より肉体的な鍛錬の必要性を痛感しています。
 山岳ガイド・剱澤小屋の佐伯友邦さんが、「山は正直。いい加減な気持ちを持って山に入ると、必ずしっぺ返しに遭う」と話していらっしゃった言葉が印象的でした。
 
 (誤解されると困るのですが、番組を見た素直な感想としては)
 山岳遭難救助の現場は男の世界だなあと、つくづく思ってしまったのは、私が男でないからでしょうか。
 それにしても、『山男』達の間に固く結ばれた絆と友情は、本当に素晴らしいです。
 

亡き・郷 康彦さんの想い出

2002-12-11

暖炉の温かさ    ゆいペンションにて   02.12.3

 暖炉の温かさ    ゆいペンションにて   02.12.3

 私の手元には、『山の彼方に  郷 康彦警部補 追悼・遺稿集』があります。
 番組の中に何度も登場された、故・郷 康彦さん。
 今も県警山岳警備隊の現役として指揮を執っていらっしゃる椙田 正さんや、第一線を退いてからも後輩を思いやる城宝勝明さんと一緒に、昭和44年の剱岳大量遭難の現場に駆けつけた中に郷さんの姿を見て、私は涙が止まりませんでした。
 郷さんは、昭和40年の富山県警山岳警備隊発足当時からその隊員となり、剱岳一帯を中心に数々の山岳遭難の現場でその力を発揮された後、48年3月に入善署勤務となり54年3月に富山北署勤務となるまでの6年間、朝日岳方面の山岳警備の任に当たられました。
 昭和48年にはちょうど私の亡父が朝日小屋の管理人を任された直後だったこともあり、郷さんには大変お世話になった事を覚えています。また当時は、朝日岳でも死亡を含めた重大事故が発生した事もあり、郷さんがその力を大いに注いで下さったものでした。
 あの頃私は高校1年生の15歳、郷さんは28歳。
 私は、一体郷さんがどんな立派な山岳警備隊の仕事をしていらっしゃった方かを知る由もなく、「パトロールに登って来たお巡りさん」「コロコロっとした笑顔のお巡りさん」という印象でした。
 「おう、ゆかり。俺、郷。GO!GO!」と私たちに冗談を言っては、いつも柔らかな笑顔でした。
 また、今は立山室堂山荘へ嫁いでいる私の妹に「おう、法チャン。俺んとこへ嫁さんに来んか!?いいぞ。俺、法チャン好きながよ」と、その頃まだ中学生か高校生だった妹をからかっていた郷さん。追悼集「山の彼方に」には、いくら見合いをしても「ウン」と言わなかった郷さんの事を何人かの友人が書いていらっしゃいますが、法子へのひと言は子どもだった私たちをからかっての事だったのか、それとも本気もちょっぴり入っていたのか、今となっては分かりません。
 その郷さんが、一度ふっと厳しい顔をされたのを今でも良く覚えています。
 確か、昭和50年の雪倉岳の遭難の時。残念ながらその時は2名の登山者の方が亡くなってしまわれたのですが、その捜索の時だったでしょうか、まだ梅雨が明けず寒い雨が降っていました。
 捜索隊の皆さんに暖を取ってもらうためにストーブを用意したり、あたふたしている私に『ゆかり、な〜ん、ストーブなんかいらんちゃ。山行くモンやったら、これ位の寒さ我慢せんにゃ。少し濡れとっても自分の体温で乾かすもんよ!』
 忙しそうに走り回る私たち小屋の者を思いやり、気遣って下さった言葉だったと思いますが、その郷さんの横顔に、山の自然の厳しさを垣間見せられ知らされたような気がします。
 昭和60年5月27日、上市町伊折地内で山菜取り最中に死亡した老人の捜索救助活動に際し、その遺体を搬送途中、突然崩壊した約1トンもの雪塊の下敷きとなり殉職された郷さん。その日の驚きと哀しみは、今でも忘れられません。
 郷さんが生きていらっしゃったら、私が父の後を継いで朝日小屋の管理人をやっていると知って、きっと心配してそして励ましに、北又からお土産を担いで登って来てくださったことでしょう。大好きだったホルモンをつつきながらお酒も一緒に飲みたかったし、山のことなどいろいろ教えてもらいたかったと残念でなりません。
 あらためて、郷さんのご冥福をお祈りいたします。

訃報。。。立山天狗平山荘・佐伯 守さん逝去

2002-12-15

ありし日の佐伯 守さん

 ありし日の佐伯 守さん

    北アルプス三県山小屋協会総会にて    02.2.28

 立山天狗平山荘オーナーで、現・立山山荘協同組合理事長の佐伯 守さんが、14日午前11時50分、感染性心内膜炎のため富山医薬大付属病院で亡くなられました。68歳でした。
 前・北アルプス山小屋協会会長。
 佐伯さんは、昭和44年の剱岳大量遭難をはじめ数々の遭難救助活動に尽力された他、北アルプス立山一帯の自然保護に力を注がれるなど、現職の理事長として今日まで立山山荘協同組合の発展に寄与されました。
 今年2月に立山で開かれた三県山小屋協会総会では、会長として総会の成功に尽くされましたが、その時には司会役を務められるなどとてもお元気な姿を見せていらっしゃったのに、本当に残念でなりません。
 私は亡父からバトンタッチして昨年から山小屋協会に加入しましたが、立山室堂山荘の法子の姉だということもあって、守さんには当初から「ゆかりちゃん、ゆかりちゃん」と可愛がってもらい、またいつも励まして頂きました。
 昨年9月に立山で三県山小屋協会の研修会が開かれた折には、「ウチでお茶でも飲んでいかんか?」と天狗平山荘へ寄り道させてもらいました。お部屋や食堂を案内してもらい、コーヒーを飲みながら小屋の話や自慢のお食事のこと等など、いろいろ教えてくださいました。また室堂山荘から雷鳥荘まで守さんと一緒に歩く機会もあり、その時にもいろいろなお話を聞かせて頂きました。
 秋頃から具合が悪そうだと聞いていましたが、少し調子が良くなられたら一度お見舞いに行って来ようと妹と2人で話していたのに、それも叶いませんでした。
 昨晩は、阿曾原温泉小屋の佐々木 泉さんと一緒に、芦峅寺の佐伯さんのご自宅へ弔問に行って来ました。気丈に弔問客の応対をされるご家族の方々の姿、そしてガクッと肩を落とし目を真っ赤にしておられた剣山荘の佐伯功麿さんの姿が涙を誘いました。
 ご葬儀は17日、私も参列して最後のお別れをして来ます。
 佐伯 守さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

下山から2ヶ月、ようやく“浦島太郎”状態から抜け出して

2002-12-16

水平道と頂上周りの登山道「分岐点」   02.9.11  

 水平道と頂上周りの登山道「分岐点」   02.9.11  

 亡き郷 康彦さんの想い出、そして佐伯 守さんの訃報。。。と、哀しい話しが続きましたので、少し私の近況報告でもしましょうか。
 
 10月16日に小屋を閉めて下山して来てから、今日でちょうど2ヶ月。
 一時期の、頭の中が空っぽで全然回らない状態から、どうやらようやく抜け出すことができたみたい…(笑)。
 下山して来ても山ばかり行っていたから当然なのでしょうが、山の上では真夏の最盛期でも小屋のこととお客様のこと、お天気やアルバイトのみんなのこと位を考えていれば良かったのです。買い物にも行かないし、銀行にも縁がないし(笑)、とにかく行動範囲は限りなく狭かった!!
 でも家へ帰ってみると…
 夏休みに小屋を手伝ってくれた高校3年生の二女・三女(双子)は、私が下山した頃にはすでに「受験生モード一色」で、休日も模試を受けに学校へ。決して教育ママではない私も、夜遅くまで机に向かっている娘たちを見ていると、さすがに最近は自分ばかりが遊びに行っていられないかなぁと思うのも親心!?  
 しかし、夫や子どもたちの毎日のお弁当作りも、家族の朝晩の食事の用意にも、何だかポワーッとしたまま気持ちが入らない毎日がしばらく続きました。
 買い物に出たら出たで、何ヶ月も行っていないのでどこの売り場に何があるか、どの棚に欲しいものが並んでいるか探すのが大変!!あったはずのお店が無くなっていたり、新しいショップが開店していたり。
 小刻みに用事があって外出したり、会議などへの出席も、やっと重い腰をあげなければ身体も心も自分からスッと動こうとはしてくれません。「コタツの子守り」が一番、と思う時も(笑)。
 贅沢な悩みと思いますが、下界の“フツーの生活”のテンポについて行けない、自分の頭がどうにも回転しきらない、そんな毎日の中で感じる苛立ち、不安、もどかしさ…そういえばこんな現象は、出産の後に職場復帰をした時の感じとどこか似ているような気がしていました。
 
 そして私が一番危機感を感じたのは…「緊張感」の無さ。
 特に時間が自由になるという事、そして上司がいないという事が、ともするとダラダラした生活に繋がります。今日やりきらなくてはいけない用事も「明日、明日」と先延ばし。また例えば買い物に出る時にも、トレパン姿で「まぁ、いいか!?」とノコノコ平気で車に乗ってしまう“オバサン状態”(笑)。
 そしてそして、緊張感の無さが生み出すのは。。。
              やっぱり『体型の変化』。。。うぅぅ
 
 しかし12月も中旬になって、そんな“浦島太郎”の状態からやっと一歩抜け出したように思います。まだまだ以前のような「とことん・エネルギッシュ」なゆかりには遠いような気もしますが(笑)、やっと下界のテンポに合ってきたみたい。
 そうこうしているうちに、きっと12月が過ぎて新年。
 子どもの受験に気を揉んでいるうちに、きっと春。待遠しいなぁ…。
 そしてすぐに、小屋開けの準備が始まる5月…!?

人を愛し、人を慈しみ、山を愛し、山に教えられ。。。

2002-12-18

「天狗の親父」さん、有り難うございました。

 「天狗の親父」さん、有り難うございました。

         三県山小屋協会総会・懇親会にて   02.2.28

 17日、天狗平山荘の佐伯 守さんのご葬儀に参列して来ました。
 「天狗の親父」として、人のために力を惜しまなかった守さんのそのお人柄のせいでしょう、ご葬儀にはご親戚の他に、山小屋関係者、天狗平山荘のアルバイトOB、山岳警備隊関係、写真家、大学山岳部やスキー部、地元ライオンズクラブの皆さん等など、会場に入りきれない程大勢の皆さんが全国各地から集まって来られました。
 高校を卒業してから50年、どうしたら登山者の皆さんに喜んでもらえるかを模索し続け、山一筋、山小屋一筋に生きて来られた守さん、その生き様は3代目・賢輔さんにしっかり受け継がれようとしています。
 最後に、ありし日の元気な佐伯 守さんの姿がスクリーンに映し出されました。
 人を愛し、人を慈しみ、山を愛し、そして厳しい自然や山からたくさんの事を教えられ。。。「天狗の親父」さん、本当にご苦労様でした。安らかにお眠りください。

なに、コレ!?

2002-12-20

右は私の足、左は500gのオモリ

 右は私の足、左は500gのオモリ

 山にずっと入っていると、いかにも山歩きばかりして鍛えているかと思われているようですが(笑)、特に繁忙期の7月20日過ぎから8月中旬のお盆頃までは、よほどの用事がない限りは小屋の外をグルッと一周するくらいがやっとです。
 特に忙しい土・日曜日の私は、殆ど受付から離れることはありません。口はずっと動いているのだけれど(笑)、足も身体も椅子に腰掛けたままであまり動いていないのです。(トイレに行く時間もままならないくらいです)
 だからかぁ。。。山(小屋)にいても、ちっとも体力が付かないばかりか、9月になっていざ山を歩こうと思うと足も身体も重いのなんの。
 シーズンオフの間にもっと何かしなければと思いつつ、プールもジョギングも「1日坊主」(笑)。
 そこで…両足にオモリを付けて、一日中過ごす事にしました。
 実は、5年前に股関節の手術をした後3ヶ月間リハビリをしましたが、その時には同じようにオモリを付けてずっと『大腿四頭筋』他の鍛錬を続けましたので、家に居ながらにしてできるのはコレしかない!と、始めることにしました。
 オモリの重さは、片方500g。夜にちょっと足を動かす時には、もう500gを付けて片方1キロにします。主治医のY先生にも相談したら、「いいですねぇ、続けてください」と励まされました。
 春になって、オモリを外して登山靴を履いたら、足が軽くなったように動いてくれるかしら、期待しようっと!!
 …甘いかなぁ?(笑)

薄着に…

2002-12-20

入善町から見た、朝日岳   02.12.14

 入善町から見た、朝日岳   02.12.14

 先日お会いした阿曾原温泉小屋の佐々木 泉さん、礼服の下に半袖カッター。
 「えっ、泉さん半袖なの!?」と聞いたら、「おう、あんまり長袖持たんのヨ」
 「えっ、もしかしたら鍛えるため!?」
 「まあ、そんなところよ」
 …ふ〜ん、やっぱり違うなぁ。山男は。
 私なんて、昔は薄着で通していたのに、最近はちょっと寒いと思ったらすぐにフリースを一枚余計に着ようとするんだから。
 亡き郷さんの「着ているものが少しくらい濡れたって、自分の体温で乾かすもん」と考えは一緒で、やっぱり普段からの『心身の鍛錬』が大切なんだなぁ。
 山は、厳しいんだもの。納得。

忘年会…“週末従業員”大集合!!

2002-12-24

左から 美枝さん、由起子さん、ひろみちゃん、私   

 左から 美枝さん、由起子さん、ひろみちゃん、私   

                   02.12.20  由起子さん宅にて
 
 20日、今シーズン“週末従業員”として、大忙しの週末ごとに朝日小屋の厨房を手伝ってくれた皆さんと、今年の反省と称してお鍋を囲みながらのおしゃべりを楽しみました。
 3人の週末従業員の皆さん、今シーズンは一体何回朝日小屋に通ってくれたと思いますか!?…
 小屋開けにもヘリコプターで上がって来て手伝ってくれた美枝さんは、朝日中学校の集団登山会の時など、小屋閉めまでに忙しい時ばかり6回も。そして“天ぷらの達人”として、汗を拭きながら延々3時間以上も天ぷらを揚げ続けてくれました。
 “元気印一番”の由起子さん、今シーズンは山開きから小屋閉めまで8回も通って来てくれました。9月初めに交通事故で1週間も入院するアクシデントに遭ったにも関らず、本人曰く「日頃からの鍛錬と、重いザックを担いで山を登っているから・笑」ということでムチウチ症の後遺症も軽く、小屋閉めには驚異の復活を遂げたのです。
 そして“週末従業員・見習い”と言いつつも、昨年初めて朝日岳に登ってから『ハマッてしまった』ひろみちゃん。今年はナント4回もお手伝いに来てくれました。彼女に言わせると「あんな辛い道のりをやっとの思いで小屋に着いて、休む間もなく厨房を手伝うなんて想像もしていなかったけど、コレが出来るんだよねぇ。本当に不思議!」
 今シーズン一番込み合った7月最終土曜日には、この“週末従業員”の皆さんが絶大なる力を発揮してくれました。戦場のような厨房で、若いアルバイトのみんなの先頭に立って声を出し続けてくださいました。
 夕食の準備から後片付け、お弁当作り、翌日の朝食の準備までの全てを午後10時までに完了することが出来た(コレは驚異的!!)のも、若いアルバイトのみんなのパワーと、熟達した主婦の力・「お○○さんパワー」の結合があったからと思っています。
 女が寄るとかしましいのは当たり前、今シーズンの反省から来年の展望まで、ああだこうだと日付が変わるまでおしゃべりをしました。山のシーズンが終っても、皆さんのパワーは健在でした!!