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ガンバレ、私の右足!!
2001-05-24
手術後に使っていた杖(ロフストランド)…娘が作ってくれたお守り付き
『人生は出会いとタイミング』・・最近よくそんなことを思うのですが、自分が管理人になることを決意する時にもいくつかの偶然が重なって、あとから気付いたら「やっぱり私が引き受ける運命だったのかも」等とヘンに納得している私です。
実は私は今から3年半前に「股関節」の手術をしています。もしこの手術があと1年遅かったら、「管理人・清水ゆかり」はなかったでしょう。今更ながら、主治医の先生に出会えたタイミングのよさを感じています。
今から4年前のちょうど5月、私はどうにも言い表しようのない足のだるさに気付きました。痛くはないのだけどだるくてだるくて…。スポーツも毎週やって、運動会も大好き、でも長時間椅子に腰掛けていると苦痛になってくる。医療関係に勤めていた私は、いくつかの情報の中から「あの先生が上手だよ」と教えられた整形外科のY先生を受診する事にしました。
私の右足のレントゲン写真を前にして、Y先生は「手術しましょうか!?」…いきなりの言葉に、私は「…」。病名は「右股関節臼蓋形成不全」、生まれつきだろうと思われる股関節の不都合が今「足のだるさ」となって現れているが、何年か放置すると痛みが出ていずれは「人口関節」を挿入することになると説明されました。
それから半年後、私は手術をしました。最初の1ヶ月はベットから下りる事も許されず、3ヶ月は絶対安静。車椅子にも乗りましたし、松葉杖も使いました。そしてリハビリの後、退院の時に使っていたのが写真のロフストランドという杖です。
幸いにも経過は順調でした。手術から10ヵ月後の平成10年秋には、無性に山の空気が吸いたくなり、先生に「恵振山の5合目までどうしても登りたいんです!」と直訴しました。主治医のY先生も山好きで、そんな私の気持ちを大切にして「決して無理をしないこと」を条件に許可が出ました(山を知らないお医者様だったら、怒られていたかも…)。台風一過の晩秋の5合目までの道のりにどんなに胸が高鳴ったか、山深い「濃い木々の匂い」は今でも忘れません。
平成11年の山開きには参加できる程に回復しました。しかしやはり手術から3年目までは、無理をしたり寝不足が続いたりすると時々痛みが出たりして周囲を心配させましたが、その後は本当に順調で、今は「管理人の仕事は大丈夫」と太鼓判を押されています。
病気一つしなかった私が、入院生活ではいろいろな事を教えられました。山へ登る事ができる喜びも改めて感じました。周りの皆さんの励ましがどんなに力になったことか…。様々な事が今の私自身に大きく役立っていると思っています。
手術を勧めてくださり、「山へ登りたい」等とわがままを言う患者をよく面倒見てくださっている主治医のY先生には本当に感謝しています。絶妙のタイミングで出会えた事、そして山の大好きな先生でよかった!!
小屋開けまであと20日。沢山の物資も集まり始めています。…ガンバレ、私の右足!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/05/d20010524a.html
父の一周忌を勤めて…
2001-05-29
5月28日(月)夕方の朝日岳
昨日夕方の朝日岳の様子です。雲もかからず久し振りにはっきり見えましたが、かなり雪が溶けて夏山の雰囲気を漂わせ始めました。写真では分りませんが、朝日小屋の屋根が夕陽にキラキラと輝いてまぶしい位でした。
先週末から「日記」を書く時間が取れなくて、暫く間が空いてしまいました。本当は「日記」だから毎日書かなくてはいけないのかもしれませんね。実は26日(土)にごく身内で父の一周忌の法要を勤めました。そんな事もあり、ゆっくりパソコンに向かう事ができなかったのです。
命日は6月17日でまだ20日近くあるのですが、その頃には私も山の上ですし、立山の妹も身動きが取れないというので、少し早目に勤めさせてもらう事にしました。
あれからもう1年、まだ1年…。いろんな意味でそんな思いで一杯です。こういう気持ちを「信じられない」と表現するのでしょうか。子どもにとって親の存在は、「居て当たり前」なのかもしれませんし、そういう意味では「いつでも逢える、まだそこに居る」そんな不思議な気持ちでいるのでしょうか。
いつもは泣き虫の私が読経の中、不思議と涙が出ませんでした。きっと山の上に行った時には違った気持ちがこみ上げて来るような気がします。
もう少し頑張らなくては…。昨日の夕方キラキラ光っていた朝日小屋は、「早く、早く。待っているよ」と合図しているようでした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/05/d20010529a.html
6月3日 その1…「安全祈願祭」
2001-06-04
朝日岳白馬岳・町道湯ノ瀬北又線安全祈願祭にて
6月3日(日)、小川温泉元湯・町道湯ノ瀬北又線のゲート前に於いて、夏山シーズンを前にした「朝日岳方面安全祈願祭」がとり行われました。
「大蓮華山保勝会」の主催で朝日町、入善警察署、森林管理署、北電他関係各位、保勝会員多数の出席があり、静かな谷間に読経が流れました。安全祈願祭が終わると、いよいよ夏山の準備が本格的に始まります。
昭和55年8月、旧盆を山で過ごした北又からの下山客を乗せたトラックが谷底に転落し、多数の死者・負傷者を出したという事故がきっかけで、以来20年にわたって毎年夏山のシーズン前にその年の林道の安全と、シーズン中の夏山の無事故を願って行われています。
その事故の時にはもちろん父が管理人をしており、当事者でしたから、その後の大変さはひと言では言い表せません。もちろん今でも亡くなられた方々には本当に申し訳なく思っています。
雨が降っている日でした。事故の第一報があった時のこと、小屋に小さいテレビが一台あって全国ニュースで画面に流れる映像、次の日がっくりと肩を落として下山していった父の様子、…今でも昨日のことのように思い出されます。
どうか、今年のシーズンが無事に始まり、そして終わりますように…。ただ願わずにはいられません。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010604a.html
6月3日 その2…「取材」
2001-06-04
6月3日(日)とびっきりの快晴の中、夏が近づく朝日岳
なかなか忙しくて日記がおろそかになっていたように思います。ゴメンなさい。この後、上山まであと1週間程になりましたので、この次はいつ書けるかと思うと今日は2回分書こうと思います(笑)
昨日の午前中は「安全祈願祭」に列席、そして午後からはテレビ局が2つも取材に来られて夕方まで。…あっという間に1日が終わってしまいました。
地元のTV局「チュー○○○テレビ」は、「安全祈願祭」の様子とその後我が家の倉庫での荷造りの風景を取材。なんでも8月の旧盆の頃に1時間程の番組にして放送したいとのこと。『朝日岳を丸ごと紹介したい』という内容らしく、小屋開けの様子もヘリに乗って取材にいらっしゃるとか。また重たい機材を担いで、山開き登山会にも同行して来られるそうです。その後夏山最盛期が始まる7月20日過ぎからまた山へ取材に来て、山小屋のドタバタを写したいという計画のようです。盛りだくさんでどうしましょ!?
またNH○の富山放送局の方もお見えになり、前管理人の父の写真をカメラに収めたり、荷物で広がった倉庫の様子も写していかれました。こちらも出来れば山開き登山会に登りたいとおっしゃっていましたが、ヘリが上がる前日のいよいよバタバタしている私の様子も取材したいということで、お約束してしまいました。「新米管理人」と朝日岳を絡めた内容で編集し、7月上旬に夕方6時台の番組の中で5分〜10分位に組んで放送したいということでした。
カメラがまわるというのでちょっとお化粧もしてみましたが…、普段慣れていないので鼻の頭が汗だらけ(笑)…やっぱり素顔がイイかな!?
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010604b.html
荷上げの物資をヘリポートへ移動
2001-06-10
4トントラックに山積みにされた荷上げ物資
小屋開けのヘリコプターが12日に予定され、今日はいよいよ物資をヘリポートに移動しました。毎日毎晩のように買出しと梱包に追われていましたが、何人もの応援の仲間の手によって荷物は手際よくトラックに積み込まれていきました。
4トントラックに山積みの分と、軽トラックに1台分。しかしこれ以外に、まだまだ生鮮食料品や冷凍食品、それから管理人の私物は当日にならないと持っていけません。それから現地に直接運ばれた燃料類等など、全部合わせると400キロ積みの「モッコ」に7〜8回分あるでしょうか。
今回は食料や飲料は7月10日頃の次回の輸送までの分ですから、それほど多くはないのですが、昨年の小屋閉いの時に『来年は誰が管理人をすることになるか分らないから、みんな一旦下げよう』ということでいろいろ降ろしてきていたので、初回は逆にそれを上げて行く羽目になりました。たくさんの想い出の品等ももう一度丁寧に梱包し直しました。
明日は忘れ物がないか最後のチェックをし、私物の整理と梱包が残っています。事務関係の書類なども結構ありますし、パソコンソフトの解説書なども忘れないように。うっかりお客様用のタバコを買い忘れていたことに気付いていなかったり、何だかまだまだ点検が必要ですね。
また、家を預かる母であり主婦が長期間留守にするのですから、学校の担任の先生にご挨拶に行ったり、銀行の関係を義母に頼んだり…、頭の中が整理できないまま、どうやら12日を迎えることになりそうです(笑)
心配なのは当日のお天気ですが、こればかりは…。今日、父の霊前にお参りして来ましたので、何とか助けてくれるのではないでしょうか。
明日もう一度日記を書く余裕があればいいのですが、もし書けなかったらゴメンナサイ。小屋が開いたら、その様子は必ずお知らせしますから楽しみにお待ちください。
ではでは…。
ps. 写真には写っていませんが、今年の朝日小屋は2種類のビールをご用意しましたので、ご心配なく。お好きなビールをご注文くださいね(笑)
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010610a.html
いよいよ明日…!!
2001-06-11
NH○富山放送局さんが夜遅くまで撮影に…
いよいよ明日小屋開けに上がります。
現在PM10:30。我が家の廊下はまだまだ荷物の梱包作業で散らかっています。一体何時になったら片付くのやら…ちょっと心配。今日は眠れるのかしら(笑)
NH○富山放送局の方が、遅くまで撮影に来ていらっしゃいます。今も後ろで私がHPを書いている様子を撮影中…。だからかなり緊張しています(笑)
昨日から梅雨入りした県内は今日は朝から曇り空だったのですが、夕焼けがとてもきれいだったので、もしかしたら明日のお天気は期待できるかしら??
明朝は5時にヘリが飛ぶかどうか決定し、天候がよければAM7時から飛ぶ予定です。小屋開けの様子がHPに書ければいいですね。お楽しみに…。
ps.今日のNH○富山放送局の撮影分は、この後山開き登山会の模様を撮影・編集して、6月28日(木)夕方6〜7時のニュースの中の企画として放映される予定だそうです。(約10分の内容で)
ぜひご覧下さい。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010611a.html
小屋開けしました!!
2001-06-12
6月12日(火) 小屋開けしました!!
梅雨の最中、こんな素晴らしいお天気になるなんて…
いろいろご心配をお掛けしました…無事、朝日小屋の今シーズンが始まりました!!
今朝4時から最終準備に取り掛かり、早朝5時過ぎには長野県大町市のヘリポートから尾安谷に向けて機体が飛び立ち、AM6時25分にはフライト開始。6時30分過ぎには朝日小屋前に降り立ちました。
心配したお天気も時間が経つにつれてどんどん雲が上がり、ヘリの中からは剣岳、立山連峰はもちろん、遠く加賀の白山までもハッキリ見えました。本当に最高の小屋開けでした!!
沢山の皆さんが小屋開けのお手伝いをして下さいました。本当に嬉しい限りです。買い出しのお手伝いをしてくださった方、差し入れをしてくださった方、ヘリポートに駆け付けてくださった方、そして小屋開けを一緒に頑張ってくださった方……、涙が出ました。本当に有難うございました。
今日が始まりです。今シーズンの無事故と賑わいを祈ってみんなで乾杯しました。あまりお酒の強くない私ですが、今日は缶チューハイでほんのり赤い顔…。今の時期には見られないような夕焼けにも出会えましたし、そして今の時間は漁り火がナントも言えず……です。
今日も今シーズン一番新鮮な写真を皆さんにお見せしたくて沢山デジカメで撮ったのですが、諸々の条件で上手くいかないかもしれません。お天気の具合で上手く携帯電話が繋がらない事もあるからです。でも頑張りますから、どうぞ応援していてください。
実は、今日ヘリが降り立った時間というのは、昨年の6月17日に父が亡くなった午後6時32分と半日違いの午前6時32分…。こんなことってあるのでしょうか。「ガスが上がってこないうちに」という小宮パイロットの判断で予定を30分繰り上げてのスタートだったのです。
父のことばかりを書いて申し訳ないのですが…、父が守ってくれたと思いたいです。
昨晩は最後の準備に追われて一睡も出来なかったので、今日は安心して休みます。また明日から頑張ります!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010612a.html
小屋開け2
2001-06-12
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2001/06/d20010612b.html