前の記事
次の記事
最高の気分!!…でも
2003-05-01
今回のメンバー全員で記念撮影 栂海山荘前 03.4.28 photo by 自動
29日は、栂海山荘を後にして、途中白鳥小屋にて昼食。その後無事に下山することが出来ました。
28日の夜半にはかなり風も出て来て、翌日のお天気が心配になり内心穏やかではありませんでした。「もし、強風が吹いて雨も強く降ったら、栂海山荘〜白鳥小屋は大変だろうなぁ。。。」またまたそんな弱気というか心配で、風の音がずっと気になりました。
しかし、私の心配も取り越し苦労…
下山日の29日は、富山県地方で30℃近くまで気温が上がった“真夏日”となり(全国一気温が高かったらしい)、ただただ暑くて暑くて…。無事坂田峠へ辿り着くことができました。
皆さん、いろいろとお世話になり、本当に有り難うございました!!
そして。。。
下山から2日経ち、今私は、自分の姿に驚いています。
顔は…
“ガングロ”を通り越して“ゴングロ”と末娘に言われ呆れられています。あんまり外へ出ない方がイイよ、と。
体重は…
あんなに、あんなに辛い思いや苦しい思いをして、ハァハァ喘いで登ったり下りたりしたのにも関わらず、「人生○○年生きて来て、最高の…」と言えるくらいの『ソレ』になってしまいました。
今私の脳裏を過ぎっているのは…
昔々、山内 賢とデュエットして“二人の銀座”という曲をヒットさせた「和○雅子」という可愛い女性が、南極だか北極へ行ってその後テレビに登場した時の驚き、そして最近テレビ番組で彼女を見た時のあの衝撃。。。もちろん、とびきり“健康的”と言ってしまえばそれまでなのですが。
こうも変わるのか、顔の色は真っ黒で、体重は倍近くになってしまったかと思われる彼女の姿に、自分自身をオーバーラップさせてしまい深く悩んでしまうのです。(注・和○雅子さん、ゴメンなさいね)
トホホ。。。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030501d.html
贅沢な時間(とき)…私のGW後半
2003-05-06
穂高平避難小屋 03.5.3
GW前半の4月26〜29日は、栂海新道を歩いた私。GW後半の5月連休が終わると、6月中旬の小屋開け目指して“駆け足の毎日”が始まることが分かっているので、どうしてもその前にもう一度“遊びの時間”を持ちたくて、家族の了解も得て何処かへ行くことにしました。
しかしいくら天候に恵まれた場合の春山とはいえ、前もっての周到な計画や装備が必要とあれば、「行ってみたい山」の候補はいろいろあっても、家事や諸々の仕事を片付けながらその準備を進めるのは時間的にも精神的にも肉体的にも容易ではありません。
チョッとくたびれている(!?)私。…それでも、山へ行きたい。…ゆっくりした時間を過ごしたい。
そこで今回は、余り準備をしないでも(微笑)行ける場所へ出掛けることにしました。
初日に伺ったのは、『穂高平避難小屋』。
管理人の水上千利さんとは山小屋協会の総会で何度かお会いしていますが、いつも「清水さん、一度遊びにいらっしゃい!」と優しく声を掛けて下さいます。お互いの小屋の営業期間の都合もあり、なかなかその機会がなさそうでしたが、今回はそのお言葉に誘われて行ってみることにしました。
皆さん、『穂高平避難小屋』が何処にあるかご存知ですか?いろいろ聞いても、案外知らない方が多いんですよネ。
岐阜県上宝村蒲田川の上流は新穂高温泉から先の谷が二股に分かれ、笠ガ岳や双六岳へ向かう林道(登山道)のあるのが「左俣」、奥穂高岳から白出沢沿いを下った白出沢出合や北穂高岳直下の滝谷出合に向けて伸びているのが「右俣」。
『穂高平避難小屋』は、その「右俣林道」沿いに新穂高温泉からホンの1時間と少し歩いた所にひっそりと佇んでいます。
私も笠ガ岳へは一昨年の秋に笠新道から登っているのですが、右俣林道を行くのは初めて。正直言って、有名な山小屋でしたらガイドブックにもいろいろと小屋の様子が載っていますが、穂高平小屋はどの本にもあまり記述がありません。いったいどんな小屋なのかしら…。
砂防工事が続く川沿いに、少しづつ新緑が始まった林の中の道を歩きます。そこここに“ふきのとう”が顔を出した林道は、春の陽射しの中にずっと続いています。
そして林道歩きに少し飽きてきた頃、林の中に小屋が見えました。グルッと廻り込んで玄関先正面へ出ると…。
わぁーっ、とビックリして声を上げたくなるような、そんな光景が目に飛び込んで来ました。
感動!!…です(笑)。
穂高連峰やその前山、そして笠ガ岳の山並みに囲まれたそこは、まさに「平」と呼ぶにふさわしいような“牧歌的”な雰囲気。とても静かでひっそりとした風景が広がっていました。
標高1,320mにある、定員30名(そんなに泊まることはない、と水上さん)の小屋です。
「来て良かったぁ」…心からそう思える小屋でした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030506a.html
みんなに黙って(笑)、一体誰と行って来たの!?…
2003-05-06
水上千利さんと奥様、連休で遊びに来ていたお孫さん達 03.5.3
わざと隠して出掛けたわけじゃないんですョ(笑)。
本当は、2日の日記に書いて行くつもりだったのですが、1日夜には朝日岳方面遭対協の総会、また2日昼には町観光協会の総会と立続けに会合がありドタバタしましたし、2日遅くには双子の娘達が帰省して来たりしたので、書いていく時間がありませんでした。
…で、今回のパートナーは、あの「てらちゃん」でした!
本当は4月末の“栂海山荘除雪山行”に行きたかった彼でしたが、仕事の都合がつかずに諦めたのです。でも3〜5日なら休めるということで、「じゃあ、私と一緒に何処かへ行こうよ!」ということになりました。
広島から夜行を乗り継いで早朝泊駅に着いたてらちゃんを車に乗せて、新穂高温泉までドライブ。広島ではなかなか見られないという、雪国・飛騨の深い山々の新緑に感激しながら。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030506b.html
『隠れ家』にするなら…
2003-05-06
「仙人風呂」
樹齢400年以上あるという、黒檜(ねずこ)をくり貫いてある
宿泊客も入れるこのお風呂、水上さん自ら“薪”で沸かしてくれる
白馬山荘、蓮華温泉ロッジ、笠ガ岳山荘、太郎平小屋、上高地西糸屋山荘、徳本峠小屋、大日小屋、白鳥小屋、栂海山荘、雷鳥荘、劍御前小屋、(立山室堂山荘)(雪倉岳避難小屋)
…私が朝日小屋管理人になってから2シーズンで泊まった小屋です。この他にも通過しただけの小屋もありますが、その都度、この日記の中で紹介してきました。
それぞれ山域も違えば、大きな山小屋、小さな山小屋、設備や立地条件も様々。小屋のオヤジさんの印象なども、どれひとつとっても同じ小屋はありません。
そして、それぞれの山小屋にそれぞれの趣きがあり、味わいがあり、どの小屋も想い出深く心に残っています。どの小屋も好きですねぇ。
でも、私が『隠れ家』にするのなら(笑)…『穂高平避難小屋』かしら。
だって、新穂高温泉から1時間チョッと歩くだけで、あの喧騒から離れてしまうんですよ!?何かあったら、すぐに隠れられるのが最高(爆笑)。 〈他の小屋へは、何時間もかかる〉
この小屋だったら、水上さんも奥様も黙って何も聞かないで、ずっと気持ちが落ち着くまで置いてくれそうです(微笑)。
夕食も朝食も、お母さん(と、呼ばせて下さい)の手料理、すごく美味しい!
無口な水上さん、でも笑顔がとってもステキです!
小屋全体に漂う、温かいおもてなしの雰囲気がとてもイイです!
『穂高平避難小屋』の何が良かったかって!?…全てです。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030506c.html
それぞれの山小屋も、準備に忙しく
2003-05-06
左は、槍平小屋の 沖田政明さん
右は、穂高平避難小屋の 水上千利さん
3日夕方、日帰りで自分の小屋まで様子を見に行って来たという槍平小屋の沖田さんにお会いしました。
水上さんと、小屋の様子や沢の状態、雪融けの具合などを話し込んでいらっしゃいました。
傍で聞きながら、私もこの後の自分のことを考えて、チョッとそわそわ(微笑)。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030506d.html
静かに、ゆっくりと
2003-05-06
この眺めを、ひとり占め
真っ直ぐに立つ、ダケカンバの樹々 まだ新緑には少し早い
後ろは、春陽に眩しい穂高連峰から槍ヶ岳への稜線
『穂高平避難小屋』の周りでは、草が伸びるのを待って“飛騨牛”の放牧が始まるそうです。
ダケカンバは、私がいつも見ているそれとは違います。雪の多さ少なさが影響しているのでしょう、樹の幹もそれ程太くはなく、真っ直ぐ空に向かっています。
左に、木立ちの中で赤く見えるのが穂高平避難小屋です。
夜には、満天の星空、そして穂高岳山荘の灯かりも輝いて見えました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030506e.html
ズッコケ珍道中…いざ、「雪上テント泊」へ!
2003-05-07
てらちゃんと、雷鳥沢野営管理所前で 03.5.5 photo by ita
穂高平避難小屋で、“まったり”とした時間を過ごしたてらちゃんと私。このままもう1泊しようかという思いもありましたが、せっかくのGWに遠く広島の‘島’から出て来てくれたてらちゃんにいろいろ案内したくて、朝食を戴いた後に後ろ髪を引かれながら穂高平を辞しました。
「やっぱり、最初に話していた通り、行こうか!?」
目的地へ向かう途中のスーパーに立ち寄り、今晩と明日の食料の買出しです。あれもこれもと、結構買いましたねェ(笑)。
えっ?どこへ向かったのかって??
そうです、とりあえず雪のある山、そしてバッチリの春山装備が無くても雪上でテントが張れる場所…立山の雷鳥沢キャンプ場です!
もちろん、雷鳥沢から剱岳アタックや立山縦走を試みるのならば充分な計画や装備が必要ですが、天気予報も快晴でしたので、テント泊が目的の2人はテントとシュラフそして防寒具の用意をきちんとすれば行けるという計算をしました。(ピッケルだけは用意しましたが、山へ登る予定は皆無だったので、アイゼンは持ちませんでした)
ゆっくりした穂高平から、GW真っ只中の立山アルペンルートへ。これにはかなりの“勇気”が要りましたが、私の予想通り、連休中日のしかも午後からでしたので、アルペンルートは思ったより混んではいませんでした。
富山県側からアルペンルートを通って立山へ入るのは初めてだというてらちゃんは、コバルトブルーの空と雄大な立山連峰や剱岳の雄姿、そして“雪の大谷”に、バスの中からずっと感激しっぱなし。
室堂のターミナルに着いたのは、もう夕方の4時近く。急いで雷鳥沢のキャンプ場に向けて歩き始めました。途中、富山県警山岳警備隊で室堂派出所に常駐している金山康成分隊長にバッタリ。
「あれぇ、どこ行くがけ? 雷鳥沢?? 劍へアタックけ???」
「ハハハ、そんな装備持たんちゃ! な〜ん、雷鳥沢まで行ってテント張って遊んで来るちゃ」
オカシイナァ。。。私はサングラスしていたし、室堂平の大勢の人込みの中で誰か分からなかったはずだけど、ゆかりの「指名手配」でも出ていたのかしら?(笑)
雷鳥沢の野営場に着いて、すぐテントの申込に管理所へ。ところが、ここでも…朝日小屋“助っ人部隊”の板さんが受付から顔を出しました。お互いに「えーっ!?」連休で立山に春スキーに来ていたそうです。
大急ぎで、テントの設営、そして夕食の準備に取り掛かります。何しろ私は、昨秋買ったテントで泊まるのは初めて。大学時代にテント泊を数多く経験してきたてらちゃんにいろいろ教えてもらいながらの「雪上テント泊」です。
てらちゃんも私も、見渡す限りの雪の山々に大感激!
でも、もし周りの人から「お仕事は?」「明日はどこの山へ?」などと聞かれたら恥ずかしくて答えられないから(笑)、あまり大きな声で話さないようにしながらソットしていました(爆笑)。
視界極めて良好、風も無く、雪の感触を確かめながら、山々の懐に抱かれて…『憧れのテント生活』は静かに更けていきました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030507a.html
ピッケルとアイゼン、そして春スキーの世界
2003-05-07
立山連山をバックに、雷鳥沢にはカラフルなテント村が 03.5.4
連休中好天が続いたこともあって、雷鳥沢のキャンプ場は賑わっていました。
春スキーが目当てのグループ、いかにも劍までアタックするぞという装備のパーティー。テントの周りにも、アイゼンやらピッケルが目立ちました。
3日夜には120張り、そして私たちが泊まった4日には90張り近くのテントがあったそうです。
昨年の同じ日には、立山室堂山荘の妹と2人で劍御前小屋まで登って来ましたが、雷鳥沢の下から見上げる御前小屋は結構近く見えても上部は急斜面の連続です。
来年は、ちゃんと計画して装備も持って、何処かへ登ってみたいなァ…密かに密かに、思いました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030507b.html