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肩
2004-04-18
初雪山山頂にて 04.3.14
用事があって、芦峅寺の妹の所へ行って来ました。
かなり以前から、自身の「中年太り」が気になっている私。
年齢的にみても、ある程度仕方のないこともあるのだけれど、どうも腰周りやその他に思いっきり“肉”が付いて、どんどん“醜い体型”になってきていると自覚しています。
40代になると仕方がないのだろうか、これも自然の摂理とばかり、パクパクと食べてはゴロゴロしているばかりのシーズンオフを省みずも、毎朝体重計に乗っては悶々と思い悩む日々が続いています(苦笑)。
以前の日記にも書きましたが、山へ行って結構汗をかきハードな運動をしたつもりでも、山から帰った後には必ず体重が増えているのですから、これはもしかしたらある種の「職業病」なのかと都合良く考えてみたり…(苦笑)。
さて、私から見てもかなりスリムな妹。
「ねぇ、アンタの首周りも結構“貧弱”だからさぁ、私の腰からでも首からでも“肉”を持っていく?あげるヨ!」などと、女兄弟ならではの冗談を言うと…。
「ねぇ、それってもしかしたら、リュックを担ぐからじゃないの?こんな私でも、高校時代の山岳部の頃って、肩がやけにずんぐりと盛り上がっていたよ!」
そういえば…
30代後半のある日、首周りがナンだかヘンだなぁと気付いた時、それがまさに「中年太り」の始まりで、それが首の後ろ側に付いた“余計なお肉”だと知らされるまでには当時少しの時間が掛かりました。
しかし、そんなこともあって、最近気になりだした今回の肩の盛り上がりはてっきり、またまたあの“余計なお肉”だとばかり思っていたのですが。。。
バナナ一本持つのも嫌だ、テルモスなんて重たくって誰か担いでくれないかな…などと、「自己責任」とはほど遠い戯言を言っていた頃はいつしか過ぎていき、それなりの荷物も担げるようになったと内心喜んでいる私なのですが。
この『肩の盛り上がり』は、「中年太り」か、はたまた「山歩きの“勲章”(代償?)」か。
かなり微妙な問題です。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040419a.html
しばらく、留守に…
2004-04-20
ピンク色が鮮やか、イワウチワ 負釣山 04.4.11
バタバタと、これから出掛けます。
今日は馬場島の近くで、知り合いの方達と1泊。
明日の朝早く帰って来て、そのまま白鳥山へ向かいます。翌22日から、さわがに山岳会の小野 健さんたちの「除雪山行」に合流する為、遅足の私は、ひと足早く白鳥山へ登ることにしました。
戻って来るのは24日なので、しばらく日記はお休みさせてください。
では、行って来ます!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040420a.html
『栂海山荘除雪山行』
2004-04-27
朝陽の中の白鳥小屋 04.4.22
私の山歩きの中でも、毎年の恒例となった『栂海山荘除雪山行』。
今年も、21日〜24日の日程で行って来ましたが、まさに「春山の楽しさを満喫し、そして春山の怖さを知る」山行となりました。
さわがに山岳会・小野 健さん達の除雪山行ですが、今年の私は都合もあって、皆さんより一日早く入山して白鳥小屋に泊まり、翌日栂海山荘で小野さん達と合流、皆さんより一日早く下山するというスケジュールになりました。
21日午後は、坂田峠から出発。同行はカタクリクラブの小野茂信さんとカメラマンの森下 恭さんで、この夜の宿泊は白鳥小屋です。
しかし、いきなりの金時坂の急登はいつもいつも本当に辛いのです。私にとってはまさに『春の行』。。。(苦笑)
せっかく咲いているカタクリやイワウチワの花を愛でる余裕も無く、「なんで来たんだろう…、帰ろうか…、帰りたい…」そんな問答を繰り返しながら、とにかくどうにかシキワリの水場まで登りきってしまうと、後はどうにか白鳥小屋を目指すことができました。
夏を思わせるような陽気の中、ほぼ予定通りに小屋に到着。
早々と始まった3人だけの宴でしたが、「おい、ゆかりちゃん。どうしたんや!?」の声もいつしか遠く、疲れていたのでしょうか、夕食も殆ど摂らずにむにゃむにゃと寝言(うわ言?)を言いながら、私はナント夕方6時半からすでに深い眠りに落ちてしまったのでした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040428a.html
アップダウンを繰り返し、いざ栂海山荘へ
2004-04-27
彼方に聳える犬ヶ岳(左)、初雪山(右) 04.4.22
翌22日は、結構風が強いものの、青空が広がるお天気に恵まれました。
早朝坂田峠から登っていらっしゃる小野さん達一行より、私たち“先発隊”はとにかくひと足早く栂海山荘に着かなければと、7時半には白鳥小屋を出発しました。
前日の金時坂が『春の行』であるならば、激しいアップダウンを繰り返しながらの栂海山荘までの道のりは一体何と形容すればよいのやら。。。私にとっては、かなり覚悟の必要な行程です。
白鳥山を下り、下駒ヶ岳を登りそして下り、菊石山を越え、“黄蓮の水場”から“黄蓮の頭(かしら)”へと続く厳しい黄蓮山の登りに喘ぎ、最後の栂海山荘までのキツイ登り。。。細尾根の急な登りの向こうに見える山荘の赤い屋根がなかなか近付かないで苦しみましたが、今年もどうにか春の栂海山荘に辿り着くことができました。
お天気が良かったので、着いて早々“先発隊”3人で小屋の戸や窓を開けて空気を入れ、湿気で重たくなった毛布を屋根の上に干したりと作業を開始。夕食の準備も始めました。
まだ陽の高いうちに、小野さん他のメンバーが到着。坂田峠から一気にやって来た皆さんですが、健脚揃いばかりで「さすが!」のひと言です。
夕方までお天気はまずまずで夜には満天の星空も見えたのですが、天気予報は最悪で、翌23日には冬型の寒気が入り込んで大荒れの予報。
お天気が良ければ、23日は黒岩平まで恒例の“お散歩”の予定でしたが、どうやら叶わぬ様子か。。。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040428b.html
一転して、まるで冬山の様相…
2004-04-27
雪の付いた、黄蓮のブナの林 04.4.24
23日は、朝から雨。この日登って来る予定の、まーちゃんとひとみさんが心配です。
もちろん黒岩平までの“お散歩”は中止。朝のうち少しだけ小屋の中の片付けなどをした後は、外へも出られない悪天となってしまいまさに“沈殿”状態…
となれば、することは他にはなく時間も気にせずアルコールが入り上機嫌で話の華が咲くか、あるいは毛布に包まるだけとなってしまいました。
午後になってまーちゃんやひとみさんの到着が待たれる頃には、外は霙まじりの強風が吹き荒れるようになりました。気温もぐっと下がって来ました。
午後3時過ぎ、二人が到着。小屋で心配していたみんなにもようやく安堵の表情が浮かびました。
しかし、夕方を過ぎてお天気はますます悪くなる一方です。翌24日にはどうしても下山しなければいけない私は、内心かなり不安でした。
今回どうしても他の皆さんより一日早く下りなければいけなかった私。一緒に下山してくれる予定のシュンちゃんの他に、あまりの悪天候を心配して、カタクリクラブの斎藤さんと相澤さんが同行して下さることに決まりました。
明日はどうするのか。。。
どうしても下りないのなら、何とか下界と連絡をとって用事をキャンセルし、下山を一日延ばすか。。。
ただでさえ、栂海山荘から白鳥山までの(最終的には坂田峠までだが、とにかく白鳥小屋まで)長くて急坂のアップダウンを心配している私は、唸りを上げて吹き荒れる外の天気に正直言ってかなり気持ちがぐらつきました。
しかし諸々を総合的に判断し、「決して無理はしないが何とか下山できる、下山する!」と決めた私は、闇夜に雄叫びをあげるように荒れ狂う外の猛吹雪を気にしながら、とにかくゆっくり身体を休めることにしました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040428c.html
春山の楽しさ、そして怖さ
2004-04-27
吹雪の中での下山、 とにかく記念撮影だけでも。。 04.4.24
一晩中荒れ狂ったお天気は、24日朝になっても収まらず、新雪は栂海山荘前で約20cm。2日前までの夏を思わせるような陽気が一転し、まさにこれが春山の怖さか…という思いが過ぎります。
小野さんはじめ、他の皆さんとゆっくり小屋の前で記念写真を撮る余裕もないくらいの悪天候。
しかし、栂海新道のヤブ刈りに毎年汗を流してまさに「自分たちの“庭”」のようにしていらっしゃるカタクリクラブの斎藤さん・相澤さんのお二人、そしてどんがら山の会の村山さんの同行で、とにかく私さえ頑張れば何とか…という思いで栂海山荘を出発しました。
「とにかく事故なく下山しなければ」「他のメンバーに迷惑は掛けられない」と、気持ちが“しっかり”していたせいもあるのでしょうか、いつもなら「また辛い登りかぁ。。」と萎えてしまいそうな時にも頑張れました。また、ホワイトアウト状態の中でも皆さんの確実なルート取りもあって、頑張って歩けたように思います。
下駒ヶ岳を過ぎて白鳥山への登りにかかる辺りで、サーッと青空も見えてきました。雲の流れが速くお天気は安定してきたと言うほどではありませんでしたが、白鳥小屋に着く頃には振り返ると犬ヶ岳もはっきり望むことが出来ました。
白鳥山からの下りでは、太陽が顔を出して暑くなってきたほどでした。
坂田峠に無事下山。栂海山荘の出発から約5時間15分でした。
今回は、私の都合で小野さんと一緒に歩くことが出来ず残念でしたが、また次回。
春山の楽しさ、素晴らしさ。そして一転した天候、その怖さ。
とても貴重な経験となりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040428d.html
栂海山荘周辺の様子
2004-04-27
22日は、こんなにいいお天気だった!!
上の写真は、22日夕方に到着してから栂海山荘の周りの除雪に精を出すどんがら山の会の村山さんです。
坂田峠〜白鳥山〜犬ヶ岳までの栂海新道ですが、昨年と比べると場所によっては少し残雪は少な目かと思われます。
しかし、「全く少ない」というわけでもないようです。
また今回のように、春山も気象条件によっては一転して冬の様相に逆戻りし降雪もあるわけですから、夏に近付いて残雪の様子がどうかというのは、もう少し経ってみないとなんとも言えないかもしれませんね。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040428e.html
「安全登山技術研修会」
2004-04-28
越道峠直下を行く 04.4.25
栂海新道から帰った翌日、25日には大蓮華山保勝会主催の「安全登山技術研修会」が行なわれました。
これは、6月末の朝日岳山開き登山会でリーダーやサブリーダーを務める大蓮華山保勝会の会員が、安全な山開き登山会の実施の為に、雪上での登山技術の習得を図ろうと毎年開いているものです。
当日は、保勝会から蓬澤会長以下15名が参加。県警山岳警備隊からは平野分隊長と谷口隊員を講師として迎え、小川温泉元湯から先の小川本流から越道峠付近を中心に実施されました。
前々日からの週末に降ったと思われる新雪を踏みしめながら、小川本流の谷に入りました。途中までは徒渉もしながら谷の中に沿って歩きましたが、上部では雪塊がかなり残っていて危険な箇所もありましたので、杉や雑木が植わっている斜面に上がって時に新雪の中をラッセルするような形で進みました。
休憩地点では、警備隊員の方たちから繰り返しロープワークを教わったりしながら、一路越道峠を目指しました。
途中の訓練を挟んで歩き初めから2時間半程で、越道峠に到着。
昼食を挟んで、再び警備隊員の方からロープワーク、雪上での登山者の安全の確保や補助の仕方、各種用具類の説明や使い方、ザイルの使い方や支点の取り方について等などの講習が行なわれました。
越道峠での積雪は未だ約2m以上はあります。谷筋や影になっている箇所では、もちろんそれ以上の残雪があるようです。
週末からの新雪は、小川温泉元湯を出てすぐの林道でも見られ、また越道峠付近では平均して約15cm程はあったでしょう。
芽吹き始めたばかりの眩い新緑と残雪の織りなす素晴らしい春の光景の中で、6月末の山開き登山会に向け、有意義な講習会となりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2004/04/d20040429a.html