明るい、「小屋閉め」でした!!
2005-10-14

最後に、発電機室の囲いをする 05.10.12
「初氷」もなく、もちろん「初雪」は降らず。
5年目にして、明るい「小屋閉め」と「下山日」でした。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2005/10/d20051014b.html
2005-10-14
最後に、発電機室の囲いをする 05.10.12
「初氷」もなく、もちろん「初雪」は降らず。
5年目にして、明るい「小屋閉め」と「下山日」でした。
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2005-10-25
雲ひとつ無い青空の下、満面の笑みで 05.10.20
しばらく日記が途絶え、「きっとゆかりは、小屋閉めの疲れから“グテーッ!”としているのでは…」とご心配戴いた皆様、本当にすみません。
実は、山へ行っていました。それも、憧れの涸沢から、晩秋の3,000m峰へ!!
一昨年秋、私には行けるはずも無いと思っていた剱岳に登って以来、「いつかは涸沢へ。そしてまた岩稜の山へも…」と憧れ続けていた穂高連峰の中の3,000mの峰を3山も登ることが出来、本当に満足の山行きでした。
今回の同行者は、長野県白馬村遭対協所属の元村さんと、息子さんで小学5年生の友一クン。
元村さんは白馬岳方面の常駐隊の方で、夏の間中は白馬岳を中心にパトロール員として活動されています。2年程前に娘の綾花ちゃんが朝日小屋にアルバイトに来てくれていた関係もあって、親しくして頂いています。
18日は、午後から松本へと向かい、次女・はるかのアパートで一泊。
好天に恵まれた19日は、上高地から入って横尾経由涸沢まで。
元村さんとの共通の知人が涸沢小屋に居て、今回はその彼に会うのも目的だったので、涸沢小屋に泊りました。(結果的に、連泊しました)
雲ひとつ無い青空が広がった20日は、涸沢小屋から北穂高岳へ。
そして、涸沢岳を経由して穂高岳山荘で休憩。
少し欲張って、奥穂高岳山頂を往復。
ザイデングラードを下って、夕方に涸沢小屋に戻りました。
本当は、21日は徳本峠小屋に泊って22日に島々に下りる予定にしていたのですが、元村さんに急用が出来、21日には私も上高地へと下山しました。
…こんな風に書くと、まるで青空の下スイスイと歩いてきたような印象を受けるでしょ!?(苦笑)
そんなこと無いんですよ、もう〜ッ、ホントに!!
あちこちに鎖場やハシゴがあるような岩稜の山、手に汗を握りながら、真剣そのものの私でした。
涸沢小屋では「念のため」と言いつつ、いろいろ装備も貸して頂き、元村さんには「ゆかりさん、ザイル結ばないで大丈夫ですか!?」と聞かれながらの、ハラハラドキドキの、『へっぴり腰』での初めての3,000mでした。
でも、いつかこの「恐怖感」と「スリル感」が、『何とも言えない、快感!!』に変わる日が、やって来るといいなぁ。…な〜んて!!!
いつも山小屋の会合でお会いする、長野県南部の皆さん。それぞれの小屋も快く見せて下さったり、泊めて頂いたり。行く先々で、とても親切にしてもらって来ました。
たくさんの事を勉強することが出来、本当に素晴らしい山行となりました。
去年の今頃は何処へも行けず鬱々としていた私でしたが、今年は、シーズンが終わってもますます元気です。
北穂高岳に着いたとたん、目の前にど〜んと大きく広がった槍ヶ岳の雄姿に、思わず歓声を上げた私。写真の顔、本当に嬉しそうでしょ!?
そう、今度はぜひぜひ槍ヶ岳へ…。密かにチャンスを狙います!!(微笑)
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2005/10/d20051025a.html
2005-10-25
晩秋の早朝、朝陽に輝くナナカマドの実と前穂の峰々 05.10.20
『自分の山』(と言うと、表現が上手くいかないが)と山小屋だけを見続け守り続ける、それもひとつ。
いろいろな山を見て、また自分の山を深く想う、それもまたひとつ。
それもいいかな、どちらもいいかな、と。
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2005-10-25
「証拠写真」 奥穂高岳山頂にて 05.10.20
上の写真、何で手のひらを広げているか分かりますか?
実は、日本で3番目に高い奥穂高岳の山頂で方位盤を見ていたのですが、その方位盤の石積みの周りで一緒に行った友一クンがちょろちょろ。
高い所が割りと怖い(!)、私。
「友一クン、危ないよ、危ないから!」と、石積みの上を平気で動く彼を見ていたら、気が付いたら私の手のひらに汗がベト〜ッッ…。
(ホント、手に汗握るとはこのこと。笑えない)
そして私は、しっかり方位盤を抱えていました…。
でも、今回は本当にお天気に恵まれました。
雲ひとつ無い青空が広がり、朝から快晴。夕方までガスも上がって来ず、そして無風。行き交う登山者の方も少なく、360度の眺望を思いのままに堪能することが出来ました。
本当は、無理をせずに涸沢小屋から北穂高岳だけか、あるいはザイデングラードを登って奥穂高岳だけの、どちらかを歩くつもりでした。
でもあまりに良いお天気に、さすがに岩稜歩きが不安な私でも、ちょっと欲張りになりました。
「このお天気は、山の神様が私に、頑張って行って来いョと言って下さっているのかも」なんて、勝手に決め込んで。
もし曇っていたり雨風だったら、軟弱な私は諦めていたかもしれません。
素晴らしいチャンスを与えて下さった山の神様に、心から感謝です。
そしていろいろアドバイスしながら、3,000m峰を案内して下さった元村さん、「小学生の子が頑張っているんだから、私も」という気にさせてくれた友一クン、有難うございました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2005/10/d20051025c.html
2005-11-01
柳河原にて photo by 自動 05.10.30
10月29日(土)〜30日(日)、朝日岳方面遭対協の秋季訓練があり、私も同行して来ました。
訓練は、北又小屋を出発して柳又谷の柳河原まで(テント泊)の1泊2日の日程で行われ、富山県警山岳警備隊からは平野正樹分隊長と谷口和幸隊員、遭対協からは谷口邦夫隊長以下6名の隊員、そして理事である私の、計9名の参加がありました。
29日は生憎の小雨の中の出発となりましたが、さすがは遭対協メンバー、悪天候にも日程変更は無く、予定通り北又小屋を発ち、北又谷本流を行き、カラ谷・杉谷を越え、横山乗越を越え、オル谷を下って柳河原へと無事に出ました。
途中、杉谷の中にある『幻の大桂』へも立ち寄りました。
柳河原では、テント泊。
深まる秋を感じながら「渓」の中で泊ることは、本当に久し振り。とてもとても(!)有意義な一夜を過ごすことが出来ました。
30日には雨も上がり、途中「キノコ採り」などをしながら(もちろん、それも大切な“訓練”の一環です!?)、夕方に北又小屋に帰り着きました。
久し振りに沢を歩き、柳又谷の流れを目の前で見ることも出来て、本当に充実した2日間でした。
富山県警山岳警備隊はもちろん、朝日岳方面遭対協のメンバーも、一年に何度もこうやって訓練を行ない、朝日岳周辺の地理・地形の把握に努め、また隊員同士の親睦を図っています。
今更ながら、逞しい山男が揃っていて心強い限りの感を強くしました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2005/11/d20051101a.html
2005-11-01
北又谷を行く 警備隊・平野分隊長に肩を借りて 05.10.30
2日間とも北又谷の本流を何度か徒渉しましたが、雨が降った29日より翌30日のほうが、約15cmほど水嵩は多かったでしょうか。
男の人たちが太腿まで水に浸かれば、当然身長の低い私は太腿付け根までが「水没」します(苦笑)。臀部(お尻)が冷たくなるかならないか、スレスレ位でしたネ。
何年か前に大蓮華山保勝会のメンバーと一緒に「幻の桂」まで探索に行っていますので、北又谷の流れも一応経験済み。
しかし今回は「柳河原」までということでしたので、歩く距離も長く、またテント泊の装備一式を含めた荷物の重さが約13†。(共同装備は、殆ど他の皆さんに持ってもらいましたが)
水に浸かって、地下足袋も当然ズボンも濡れ重くなった私の足。
沢の中を歩き、何度かの山越えは少し「ハード」でした。
何しろ、「道なき道」です。もちろん足を掛ける場所も無く、木にぶら下がり、岩の割れ目に手を掛けて…。それ以上に、雨でドロドロになった急斜面は、結構登り甲斐がありましたが、それもこれも終わってみれば“快感”でした。
今回は、柳又谷本流を歩くことはありませんでしたが、柳河原に足を踏み入れてみて、朝日岳のすぐ下を源とする「水谷」や「ゼンマイ谷」「赤男谷」などがこの柳又谷に流れ込んでいるかと思うだけで、感慨深いものがありました。
亡父も何度も足を運んだ「渓」。
いつかは、ぜひ覗いてみたかった「柳又谷」。
訓練に参加することが出来て、本当に良かったです。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2005/11/d20051101b.html
2005-11-01
まるで宝石のように輝く、天然のナメコ 05.10.30
10月12日の下山から、20日。
もう20日…、まだ20日…。
「日記」が飛び飛びになってしまっています。本当にゴメンナサイね。
一部には、「奥穂の疲れが残っているのでは」とか、「またいつもの年みたいに、精神的にちょっと“ポシャッている”のでは」と心配して下さっている方も。
でも、そうでもないんです(微笑)。
ちょっと、あまりにプライベートだったので書きませんでしたが…。
10月12日の夜は、もちろん「打ち上げ!」。深夜までみんなでワイワイと大騒ぎでした。
実は、10月14日から3泊4日で九州・鹿児島へ行っていました。
これはただの旅行ではなく、60年前に鹿児島に疎開していた実家の母親を連れて、叔父たちに会いに行くという、実妹たちと一緒の旅でした。
(どうしても日が取れず、小屋閉めして下山の翌々日に出発という強行日程でした)
実母も喜んでくれましたし、叔父たちとも何十年振りの再会となり、楽しい旅となりました。
10月17日夜に帰宅して、翌18日の午後には松本へ。 そして19日から、涸沢・穂高岳への山行。
本当は、穂高から帰ってから薬師岳へ行く予定もあったのですが、身体も疲れていましたし、またお天気もあまり良くなかったので、無理をせずに断念。
そして先週は、他の山小屋さんの“打ち上げ”に顔を出したり、糸魚川の市役所で半日会合があったり(白高地沢の件で)と、それなり(結構!)、モタモタバタバタと毎日を過ごしています。
先週末には、訓練にも参加して来ましたし。
もちろん、休み無く会社に勤めていらっしゃる皆さんには申し訳ないくらいの、贅沢な時間の使い方をしているのですが、その間にも来客があったり、電話があったり、用事を足したり。
山を下りて来てすぐ、「クリスマスケーキのご予約はお早めに!」とか「忘・新年会は、お決まりですか?」とか、今日からは年賀状の発売が始まったり。。。
また留守にしていた4ヶ月の間には、近隣のスーパーが別のスーパーに替わってしまっていたり。それも、3軒も。。。
(いつもながら!?)年々早まる感がする、そんな時間の流れに、実は置いていかれそうになっています。
でも「浦島太郎」になりながらも、始まったばかりのシーズンオフを、今年は少し楽しんでいる、元気な私です。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2005/11/d20051101e.html
2005-11-02
「幻の大桂」にて 小さく写っているのが、私 05.10.30
何故か、周囲で大いに盛り上がっているのが「朝日町民駅伝」。
今夜用事があってちょっと車で出掛けたのですが、選手とおぼしき“それらしい人”たちが、街中で走っています。
朝日小屋からは、今年も「ボッカーズ」と「エプロンズ」の2チームがエントリーする予定です。
“社長”は、と言えば、大いに盛り上がっている皆さんにはホントに申し訳ないと思いつつ、一度も練習会にも参加せずに、どうもこのまま大会当日を迎えそうな雰囲気…。
走るのが絶対にイヤ!というわけではないのですが、(中学時代までは、短距離はビリだったけど、これでも長距離走ではそれなりだった)どうも、それ程好きでもなさそうで…、とやっぱり言い訳にしか聞こえないか(苦笑)。
昨年も一昨年も私はアンカーで走ったのですが、一昨年など、走り出してすぐに「もう、歩こう!!」と思ったくらいです。
でも、沿道で応援してくれている町民の皆さんの声がはっきり聞こえてくるのです。
「あれぇ〜、朝日小屋の清水さんやわ。頑張ってぇ〜〜!!」
そんな声がはっきり聞こえてくると、もう歩こうと思っていても歩けるはずがありません。
死に物狂いで、走りましたヨ!!
(…と言っても、足も殆ど上がらず、地を這うようにしか見えなかったようですが)
でもでも…
社長はやっぱり今年も「エプロンズ」のアンカーで、という話に、“うんうん”とかなりいい加減に返事をしていましたが、どうやら出なくて良いということになったとたんに、ホンの少しの淋しさも、有るや無しや。
当日は、“部長”はじめ張り切っている皆さんと若いメンバーに走りはお任せして、私は大きな声で応援することに徹しようと思っています。
「遭対協チーム」との順位争いも興味がありますが、終わってからの反省会は両チーム合同でやる予定ですので、当日は全員怪我なく頑張ってもらいたいと思います。
くれぐれも、“社長”は応援のみということで。
よろしくお願いします!!
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