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素直になれなくて。。。
2003-03-12
ヘリコプターから見た、白馬連山 02.7.6
今日は朝から気になることがあり、それは一日中私の頭の中から離れない。
もっと素直になればいいのに、気持ちとは裏腹の行動しかとれない自分。
悩みながら口にした言葉は、とっても“優等生的”…
自分の思いが相手に届かず、期待していた答えが返ってこないと落ち込んでしまい、そしたらまたまた自己嫌悪…
あ〜ぁ、なにやってんだろう。。。
明日こそ素直になりたいな。。。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/03/d20030312b.html
『山の歌』
2003-03-13
朝日小屋、昨シーズン最後の布団干し 02.10.13
先日高岡を訪れて皆さんとご一緒した折、いつも掲示板に書き込みをしてくださる“山の歌”さんのペンネームに話題が集中しました。「そのペンネームを使っていらっしゃるのは、どうしてですか?」
“山の歌”さん曰く、「私は山歩きを始めてまだ2年程と間がないので、皆さんがご存知の歌をそれ程たくさん知っているわけではありません。でも『山の歌』って、ホントにステキだし憧れもあります。これからそんな曲をもっと覚えたいという思いもあって、ペンネームにさせてもらったのです」
それで、「ゆかりファンクラブ・高岡支部」の最後は山の歌の合唱で大いに盛り上がったというわけなのです。その時“山の歌”さんは、「坊がつる賛歌」を熱唱されていました。
皆さん、『山の歌』というとどんな曲を思い浮かべますか??
山の歌といえば、外国民謡が原曲だったり、山里の地方に古くから伝わるものだったり、旧制高校の寮歌や大学山岳部の部歌だったりと、それぞれに年月を経て歌い継がれたものが多いように思います。
私が初めて朝日岳の山開きに参加した頃には、夜の交流会には必ず歌集が配られみんなで合唱するコーナーがあったと記憶しています。そんな時に大人の皆さんの口を真似て自然にいくつかの曲を覚えました。
「いつかある日」・「山男の歌」・「山小舎の灯」・「山の子の歌」・「雪山に消えたあいつ」…そんなポピュラーな山の歌は、どれもその頃から大好きでよく口ずさんでいます。
そういえば昨年10月末に徳本峠小屋を訪ねた時には、管理人の今川さんがたくさん山の歌の歌集を持っておられて、みんなが酔っ払って寝静まった後に(私だけに・笑)こっそり「安曇節」を歌ってくださいました。
『山の歌』の中には、山で帰らぬ人となった友を偲んだ曲などもあり、山の厳しさや険しさを強く感じさせるものがあります。また山や自然の素晴らしさや魅力、山仲間との楽しい山行の様子などを軽やかに歌っている曲も多くあります。どの曲もそれぞれに味がありますね。
皆さんはどんな『山の歌』がお好きですか?
山仲間と口ずさむのはどの曲ですか?
また教えて下さいネ!!
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“朝日岳の歌”、2曲
2003-03-13
晩秋の雰囲気を漂わせる、夕日ヶ原 02.10.5
『山の歌』といえば…
実は朝日岳にも、今から20年以上も前に作られた“名曲”があります。ご存知ですか?
(以下、資料は「保勝会50年のあゆみ」「70年のあゆみ」による)
“朝日岳の歌”は、昭和51年に朝日町の歌人で版画家の間部善治(まなべぜんじ)氏が作詞された「夕日ヶ原慕情」と「大蓮華讃歌」の2編です。
「夕日ヶ原慕情」は、なだらかな斜面に咲く美しい高山植物と、黒部の山々を背景にしながら日本海に傾いていく夕日の素晴らしさを歌っています。また「大蓮華讃歌」は、登山口の小川温泉元湯から恵振山・夕日ヶ原を経て朝日岳への登山コースを順々に歌い上げてあります。
その歌詞にPRも兼ねて広く全国から曲を募集し、草加市の土田明人氏がメロディーを付けて出来上がったのが、互いに曲調の違う2曲の“朝日岳の歌”です。
その2曲のうち、テンポが速く明るく軽快な曲調の「大蓮華讃歌」が全国に紹介されました。“越道過ぎれば湯ノ瀬もはるか、小川元湯はもう見えぬ”で始まるこの曲は、昭和54年夏の1ヶ月間、NHKテレビの「みんなの歌」で、ナント演歌歌手・細川たかしが歌ってお茶の間に流れました。
当時学生だった私は、毎日お客さんに食堂で、“ムリヤリ”“歌唱指導”と称して「大蓮華賛歌」を歌わせていました(笑)。
それから、しっとり静かな曲調で歌われる「夕日ヶ原慕情」ですが、「大蓮華賛歌」の“陰に隠れて”当時はあまり歌われる機会がありませんでした。しかし今では、朝日小屋のアルバイトのみんなの“テーマソング”として、特にアルバイトを終えてみんなが下山する時のバックミュージックとして流されます。小屋での想い出を胸に小屋をあとにする後ろ姿に、この曲が流されると、みんなこみ上げるものがあるようです。
この「夕日ヶ原慕情」は、亡父の葬送の場面でも流させてもらった大好きな曲で、私にも忘れられない歌となっています。
先日の高岡では、“山の歌”さんに「夕日ヶ原慕情を歌ってください!」と言われたのに、お酒のせいかド忘れしてしまって、ゴメンなさい。この夏にはちゃんとお聞かせしますから、お楽しみに!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/03/d20030313b.html
今から夜行で、神奈川へ…
2003-03-14
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今日は「ホワイトデー」
2003-03-14
高岡の街並み 03.3.8
今日は「ホワイトデー」ですね。
富山県地方は朝からポカポカとした、3月半ばの春らしい陽気になりました。
皆さん、ステキな一日になりましたか?
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忙しかった週末
2003-03-17
「立山室堂山荘連絡所」の看板…横の白いのは、雪 03.3.16
14日(金)の夜行列車に乗り、上野駅には翌15日(土)朝6時着。神奈川県藤沢市へ娘と一緒にアパートを探しに行ったのですが、お陰さまで学校にも近く思っていたより良さそうな物件も見つかりました。そして帰りは午後3時過ぎの上越新幹線に飛び乗りましたが、自由席は満席で越後湯沢駅までは立ったまま。特急と普通電車を乗り継いで、家に辿り着いたのは夜の7時半頃でした。
そして16日(日)は、立山芦峅寺へ嫁いでいる妹の家へ。立山室堂山荘の先代、故佐伯 昇さんの七回忌がありましたので、実家の母と一緒に朝から出掛けました。
ごく身内のみで行われた法事でしたが、苦労して立山室堂で山小屋の営業を始めた先々代の三九郎さん、そしてそれを受け継ぎ発展させ三代目の千尋さんへと繋がれた二代目の昇さん、それぞれの遺徳を偲んでの法要そして宴席へと続きました。
妹が嫁いだのは昭和60年12月で、その年の10月末か11月には、私も実家の父と一緒にまだ新築なる前の古い営業小屋(現在は、国の重要文化財・室堂小屋)を、ご挨拶がてら訪ねた事があります。少し傾きかけたまま黒光りした太い柱や梁がとても印象的でした。その後、亡くなった昇さんには何度もお会いしましたが、私の事をいつも「姉さん姉さん」と可愛がってくださいました。
芦峅寺では3月に入ってからも何度か降雪があり、一度に70〜80センチも積もった日があったとか。同じ立山町でも、五百石や岩峅寺では周りの田圃の雪も殆ど見られませんでしたが、千垣の集落から上、芦峅寺に入ったとたんに家の周囲や屋根にも、周りの田圃にも積み上げられた雪の塊がまだまだドカンと居座っていました。
それでも、春は確実にやって来ます。アルペンルートの開通まで1ヶ月、あっという間ですネ…。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/03/d20030317a.html
立山の雪情報
2003-03-17
「天狗平山荘連絡所」の看板
賢輔さんを自宅までお送りして、その時写して来ました。
昨年12月に“天狗の親父さん”守さんが急逝された天狗平山荘ですが、千尋さんの家とは親戚関係にあるということで、オーナーの佐伯賢輔さんが法事に参列しておられました。
その時の話では、今年の積雪は例年(昨年?)より2メートル以上も多めだそうです。3月の降雪が大きく影響しているのでしょうか。
アルペンルートの除雪も、3月の降雪で思うように進まない事もあったようですが、何しろ「人海戦術」ですので、今は作業をする人達の数も増やして、4月の開通を目指して急ピッチで進められているそうです。
私…「あせぐらしなってきたねぇ」
賢輔さん…「おう、せわしななって来たっちゃ!!」
この会話、「忙しくなってきたネ」「忙しくなってきたヨ」の意味です。
バリバリの冨山弁も、立山の芦峅寺と朝日町では微妙な違いも(笑)。
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宇奈月・朝日両遭対協の合同訓練
2003-03-19
訓練の様子 03.3.15 photo by furusaki
宇奈月・朝日両遭対協の遭難救助技術の向上を目指した訓練が、15・16日の両日、宇奈月町の宇奈月温泉スキー場と大原台公園一帯で行なわれました。朝日岳方面遭対協からも谷口隊長、廣田副隊長他の隊員が参加し、両遭対協合わせて19名が本番を想定した真剣な訓練に臨みました。
両遭対協は管轄が接しており、管轄の境界で遭難が発生した場合に備え連携の強化を図ることが目的で、昨年5月にも合同の訓練を実施しています。
横山 隆・黒部署山岳警備隊分隊長、古崎富裕・入善署山岳警備隊分隊長らの指導を受けながらの遭難者搬送訓練では、ビバーク用簡易テントで遭難者を包みザイルで確保しながら山から下ろす練習などがくり返し行なわれたそうです。
またこの他にも、山スキーやかんじきでの歩行訓練、雪崩れ用のビーコンを使用した捜索訓練も実施されたとのことです。
私もぜひ参加したかったのですが、先週末には所用が立て込んでいてどうしても欠席となりましたが、古崎分隊長や阿曾原温泉小屋の佐々木さんの話では、大勢の隊員の参加で大変有意義な訓練だったということでした。
シーズンを通して、遭難や事故が皆無に越したことはありませんし、小屋の責任者としてもそう願っています。しかしいざという時には、県警山岳警備隊や遭対協の皆さんのお世話にならざるを得ない場合もあり、訓練の重要さは言うまでもありません。
いつもその献身的な姿には頭が下がります。県警山岳警備隊の皆さん、そして遭対協の皆さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします!!
(記事は、一部北日本新聞より抜粋)
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/03/d20030319a.html