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『第15回・海のウエストン祭』
2003-05-26
ウエストン像 新潟県青海町天険親不知にて 03.5.25
25日(日)、新潟県青海町の親不知コミュニティ広場において『第15回・海のウエストン祭』が開催されました。(主催−カタクリクラブ 後援−青海町・青海町体育協会)
(以下、当日配布のレジメより抜粋−文責・小野 健氏)
皆さんご存知の通り、ウエストン師は、わが国近代登山の黎明期に日本アルプスを精力的に登って世界に紹介し、「アルプスの父」と呼ばれた人です。
ウエストンと親不知の関係はあまり知られていませんが、師は今から109年前の1894年、白馬岳登山のため親不知に立ち寄り、日本アルプスの北端を確認したのです。(中略)明治27年7月19日、開通間もない国道・親不知の断崖から日本海を見下ろして、「ここが日本アルプスの起点である」つまり、飛騨山脈はここから始まると、著書「日本アルプスの登山と探検」には記述されています。
ウエストン祭といえば、1947年からの永い伝統がある上高地が有名で、今は全国8ヶ所のゆかりの地でも行なわれているそうですが、親不知の祭典も『海のウエストン祭』として回を重ねて今年は15回目を迎え定着してきたようです。
1894年に親不知を訪れ、また同年に白馬岳初登頂を果たしたウエストンが、朝日岳の山頂を踏んだかどうかは分かりませんが、100年以上も前のその当時でも「アルプスと海を繋ぐ」という壮大なロマンは、きっとウエストンの心の中にも芽吹いていたのだと確信しました。
そして「アルプスと海を繋ぐ栂海新道」が、さわがに山岳会の小野 健氏ら有志の手によって朝日岳〜親不知・日本海まで完全開通されてから30余年。最近は、その夢や冒険心に心惹かれて訪れる登山者も増えています。
『北アルプスの最北端・朝日岳』、そしてそこに建つ朝日小屋は、ロマンを求める多くの登山者の皆さんに可愛がって頂けるよう、今シーズンも頑張ろう!…ウエストン像を前にそう思いました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030526a.html
さわがに山岳会・小野 健さん
2003-05-26
「海のウエストン祭」案内板の横で 03.5.25
4月末の“栂海山荘除雪山行”でご一緒してから約1ヶ月ぶりにお会いしましたが、相変わらずお元気でお忙しそうな小野さんでした。
今シーズンも、何度か朝日小屋へおいでになる予定。
昨年は、いらっしゃる度に、スライドを上映して栂海新道の紹介や自然解説をして下さいました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030526b.html
白鳥山山開き
2003-05-26
白鳥山山頂で、小野 健氏の講演もありました 03.5.25
昨日は「海のウエストン祭」の後、白鳥山の山開き登山会も行なわれ、参加者は坂田峠へ移動して金時坂を登り、白鳥山山頂を目指しました。遠方から、また近隣からの常連の岳友、初めての参加者、富山県の方、朝日町からの参加者も大勢おいでになりましたが、その数は、ナント約200名程!!
山頂では、安全祈願祭をした後、栂海新道周辺の自然や栂海新道誕生の頃の話、山のエピソードなどを交えた小野さんの講演がありました。またカタクリクラブの皆さんが、豚汁やお汁粉を振舞ってサービスしてくださいました。
標高1286.9mの白鳥山山頂付近では、まだまだ雪も残り、雪融け直後に咲くタムシバやイワウチワ、そしてイワナシやカタクリの花たちが可憐な姿を見せてくれました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030526c.html
後ろ姿
2003-05-27
いつも頼もしい後ろ姿、阿曾原温泉小屋の佐々木 泉さん
宇奈月・朝日 両遭対協合同訓練にて 03.5.17
黒部の険しい峡谷はどこまでも男性的な荒々しさを誇り、朝日岳のその穏やかな山容は女性的と形容されます。
切り立った断崖絶壁の続く水平歩道や下の廊下を歩かなければ辿り着けない阿曾原温泉。縦走路を歩いてやっと着いた朝日平は、のどかでノンビリとした雰囲気の「お花畑のど真ん中」。
阿曾原温泉小屋は、その立地条件ゆえ毎年取り壊す為のプレハブ造り。赤い三角屋根が目印の朝日小屋は、今年で築18年になりますがまだまだしっかりした新しい山小屋。
阿曾原温泉小屋は、山奥にありながらボッカらしいボッカはなし。食料その他の調達はそれ程問題はないとのこと。ただし、小屋を取り壊した後の冬の間の荷物は移動しなければいけないらしいけれど。
朝日小屋は、ヘリコプターでの荷揚げと北又からの人力によるボッカによって物資の調達をしています。特に食料の仕入れはまるで「博打」のようで(笑)、シーズン中は最後の最後まで気が抜けません。
阿曾原温泉の繁忙期は、水平歩道や下の廊下が完全開通する9月中旬以降10月下旬までの約1ヶ月間。登山者の皆さんは峡谷の紅葉を楽しみに歩かれます。
一方の朝日小屋は、7月中旬から8月お盆までの1ヶ月間が最盛期。多くの登山者は、咲き乱れる夏の高山植物を目当てに朝日岳へ足を運ばれます。
その阿曾原温泉小屋のオーナー・佐々木 泉さんは、元富山県警山岳警備隊員として数々の遭難救助に尽力し、小屋の経営に携わるようになってからも、黒部の山を隅々まで知り尽くし登山道の整備や草刈り、登山者の安全確保にいつも汗を流していらっしゃいます。
片や、朝日小屋の管理人・清水ゆかりは、いつまでも「朝日岳しか知らない」「山を歩くのは苦手」とノタマイながら(苦笑)、それでも管理人らしく在りたいと、今一生懸命“勉強中!”。
泉さんは、その巨漢、風体から「黒部の熊」「黒部峡谷のビック・ベア」とあだ名されているらしい。ゆかりは、……!?(笑)。
泉さんは、もちろんアルコール大好き!。身体からして、飲む量だってきっと半端じゃないと思います。何と言っても「熊さん」ですから。私は決してお酒はキライなわけではないし、陽気なお酒の席も大好きだけど、父に似て量はホドホド以下で、コップ一杯のビールで顔は真っ赤。
泉さんが県警山岳警備隊員として活躍されていた頃、ちょうど入善署勤務の時期がありました。父はいろいろお世話になっていたようですが、その時私はすでに結婚して山には入っておらずすれ違いでしたから、泉さんの存在は話の中でしか知りませんでした。
こうやってみると、共通項のないそんな全く条件の違う2つの山小屋のオーナーと管理人ですが、山小屋協会では同じ「黒部観光旅館組合」に所属しており、峡谷鉄道沿線の組合員さんが多い中で、実際に山小屋に入って切り盛りしている者同士ということで、私が父に代わった直後からいろいろとお世話になっています。
宇奈月町に生まれて小さい頃から黒部の山や川を見て育ち、いつも山のことや自然環境の保護を考え、山小屋を利用する登山者のことや、下の廊下一帯を歩く登山者の安全を第一に考え行動する泉さんの姿勢には、学ばされることが多く本当に頭が下がります。
歳も近く、同じ組合に所属していますので、いろいろ相談する機会もあります。これからもその“大きな背中”に教えられながら、私も少しでも“一人前の管理人”に近付きたいと思っています。
(歳は私の方がチョコッと上ですが)…頼りにしています、先輩!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030527a.html
『夏山相談所』
2003-05-27
(コ)イワカガミ 恵振山にて 03.5.20
関東一円の皆様に限定されてしまうお知らせで、恐縮ですが。
『第46回・夏山相談所(無料相談)』が、東京上野の松坂屋において5月29日(木)〜6月4日(水)の期間、本館6階の大催事場で開催されます。
この恒例の催しは、全国各地からベテランの山岳ガイドの皆さんや山小屋関係者が一堂に集まり、今シーズンの各地の新鮮な情報の提供を行ない、また夏山の相談にも親切に答えてアドバイスして下さるというものです。
毎年楽しみにしている方もいらっしゃるそうで、大勢の人で賑わうと聞いています。
北アルプス関係からは、
立山連峰・馬場島 − 佐伯 徹 (佐伯友邦さんの弟さん)
剱岳・黒部下ノ廊下 − 佐々木 泉 (阿曾原温泉小屋)
薬師岳・雲の平・黒部源流 − 五十嶋博文 (太郎平小屋他)
白馬連峰 − 若林邦彦 (白馬山荘他)
乗鞍岳 − 福島 実 (鈴蘭小屋)
アルプス銀座・裏銀座・高瀬渓谷 − 楯 十女男
槍・穂高・上高地 − 上条岳人 (岳沢ヒュッテ)
鹿島槍・針ノ木 − 柏原正泰 (冷池山荘)
以上の錚錚たるメンバーが、相談員として参加される予定です。(都合により、相談員が欠席・変更になることもあるのでご了承ください)
「ゆかりちゃんも、出て来ないか?」と誘われましたが、さすがに小屋開けまで20日足らずとなって、東京までは出掛けて行けないなぁと残念ながらお断りしました。
白馬山荘の若林支配人と、阿曾原温泉小屋の佐々木さんは出席されると聞いていますので、もし朝日小屋関係でご相談のある方がいらっしゃいましたら、気軽に声を掛けてみて下さい。
朝日岳のパンフレットも、若林支配人の手元辺りにあると思いますので、そちらもよろしくお願いします。
会場は夏山ムードがいっぱいで、今年は何処の山へ行こうかしらと思案中の皆さんにもきっと参考になるかとおもいます。
お時間がありましたら、ぜひどうぞ!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030527b.html
難しい…
2003-05-28
オオカメノキ 恵振山にて 03.5.20
デジカメを使ってHP用の写真を撮り始めて丸2年。
元々メカに弱い私は、“取り説”をじっくり読んだりするのは大の苦手、デジカメの機能を熟知しているわけでもなく、いつまで経っても行き当たりバッタリに「とにかく数打てば何とかなる」式に撮っています。
山や風景の写真は、露出を変えたりして何枚も撮ればその中には大概何とか使えるような写真もあるのでどうにかなるのですが、難しいのは「お花の写真」。特に、花全体が小振りだったり、白い花の場合は、いつもピントが合わずにボヤけてしまうことが多く、満足して日記に使えるものにならない場合は、ガックリすることの方が多いのです。
先日、いつもHPを愛読してくださっている北村さんという方が、「ゆかりさんの日記に出てくる白鳥山へ行って来ました」とメールをくださったのですが、添付してあった写真がすごくステキだったのにビックリ! とっても綺麗に写していらっしゃいました。
どうしたら、花の写真が上手く撮れるんだろう。花の立体感や雰囲気、色合いを出すのにいつも苦労します。でも、今までの私の写真の中にもソコソコ撮れていたのもあるんだけど、適当に撮っているから、データなんてわからないし、その場合は何がどうなって、う〜ん…(苦笑)。
そう思いながら、先日行った恵振山そして白鳥山では、いろいろ私なりに考えて写してみました。
「構図」はもちろん難しく、それによって雰囲気が全く違ってくるのでいつも悩むのですが、私のデジカメ写真の場合はとにかく「お花を紹介する」という意味合いが強く「分かり易い」というのが大切だと考えているので、構図に関してはあまり悩み過ぎないようにしています。大体、歩きながら限られた時間で撮る場合は、同行者の方に待っていてもらうのも申し訳なく、サッサと撮るのも大事ですから。でもコレも慣れかもしれません。自分の好きな構図や、こうなったらこうで、というのは撮っているうちに勉強できるのかも。
「露出」も難しいですね。風景の場合も、青空や夕焼けの写真などデジカメの場合はいくらでも補正が利くのですが、そうかといってなるべく見たままを残したいと思うので、あまり構いすぎないようにしています。花の場合は、微妙な光の加減で露出が変わってきます。
「ピント」…いろいろ考えながらも、とにかく、とりあえず「ピンぼけ」だけは避けたい。どうしたら、後ろの葉っぱや周りの雑木だけがくっきり写って肝心の花が「ボケボケ」というのが避けられるかと考えながら今回は撮ったつもりです。
そうだ!! 一歩下がってみようかなぁ…
花の写真を撮る場合、どうしても被写体が小さいこともあって、私の場合すぐにそれに近付きたがる傾向にあるように思います。だから、花はボケボケ・後ろクッキリになるのかもしれない。近付きたいのをグッと我慢して、適当な距離をとればいいのかも…。
まだまだ試行錯誤ばかりですが、もっと上達できればイイですね。
また皆さんのお話も聞かせてください!!
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030528a.html
「性格」
2003-05-28
シラネアオイ 白鳥山シキワリの水場付近にて 03.5.25
人間の性格なんて、何かひと言やふた言で表し切れるものではないし、あんな顔やこんな顔、あんな性格もこんな性格も、ひとりの人格の中にいろいろあって当たり前なんだと思います。
それでも、様々な場面の中で自分の「性格」と真正面から向き合わなければいけない時があって、いくつになっても自分の性格と格闘する(?)−うまく付き合えない−場合もありますよね。
最近すごく悩んだことがあって(私でも悩むんです・笑)、そんな話をある人としていたら「ゆかりさんは、何でも物事を真正面に置いて捉えようとし過ぎる傾向にあるんじゃないですか。もう少し視点を変えて、あるいは一歩下がってみるとイイですよ」
別の人は「あんたは、小細工のきかない、不器用な、一直線な人やね!」
『一直線』…そうなんですよぉ(思いっきり、苦笑)。
(うまく言えないけれど)私の中では、物事を真正面に据えない、真正面から取り組まない、ということは=「逃げる」ことを意味するわけで、それは私の中では許せないことなんです。そんな性格のため故に、泣いたり笑ったり怒ったり…。
『前に向かって』進むことが好きな私は、「一生懸命」が身上でそれで自らの道を開いてきたと思っています。
でも、どうしてもそれでは辛かったり苦しかったり、自分自身が耐えられそうになかったりする場面も出てくる場合がありますよね。
そんな時、チョッと見方を変えてみる、一服してみる、“物事”をとりあえず少し横に置いて眺めてみる、一歩下がって観察してみる、時間や空間をうまく利用したり、etc…そんなことも必要なのかな、と最近は思っています。ただし、なかなかすぐにうまくはいきませんけど。
そういえば、花の写真を撮る時だって、近付き過ぎてピンぼけばかりだったのが、少し後ろに下がってみたら綺麗にピントが合ったじゃありませんか。今まで撮れないと嘆いていたのがウソのように、はっきり写った写真もあるから不思議ですよね。
ただし、私はやっぱり自分のこの『一直線』の性格をそれなりに気に入っています(微笑)。キライじゃありませんから。
ガンバロウッと…。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030528b.html
『アルプスと日本海を繋ぐ』…海抜0メートル地点
2003-05-30
親不知・日本海の船上から見た「アルプスと海の接点」 03.5.29
4月以降、あちらの山こちらの山へと「コレも仕事!、いつも勉強!」と出掛けていた私、朝日小屋管理人・清水ゆかり。
ところが今回は、ナント日本海の船の上からのレポートをお届けします(私、満面の笑み!)。
なんで、「山」でなく「海」なのか…話せば長くなるのですが。
新潟県青海町の駅前に「長野屋」さんというお菓子屋さんがあります。ここの奥様・ひとみさんはさわがに山岳会の小野 健さんとよく山を歩かれる方ですが、私にはお姉さんのような雰囲気でいつも優しくしてくださり、これまで何回か栂海新道をご一緒したり朝日小屋へも遊びに来て下さっています。
そんなご縁があって昨年から、「長野屋謹製・栂海新道」(抹茶味のきんつば)という、とても美味しいお菓子を朝日小屋の売店に置くようになりました。
24日、翌日の「海のウエストン祭」を控えて小野さんのご自宅で開かれた前夜祭に、写真家の森下さんと出掛けた私。途中、長野屋さんにご挨拶に立ち寄りました。
そこで、森下さんが「いつの機会にか、アルプスの起点となる日本海の0メートル地点からの写真を撮ってみたい」と話されたのですが、それを聞いたひとみさんのご主人・公博さんが「船の上から写真を撮りますか?」と、誘って下さったのです。「まぁ、いつかそんなチャンスがあったら、ぜひ…」という話だったのですが。
白鳥山の山開きに参加し、その後白鳥小屋と栂海山荘に泊まって28日まで写真を撮っていた森下さんが下山し、再び長野屋さんへ寄られたら「明日、天候も安定しているようだし、仕事も空けられるから、船を出しましょう!」と話がトントン拍子に決まりました。
29日早朝、糸魚川港から公博さんがご自分のプレジャーボートを出して下さいました。小野さん、森下さん、ひとみさん、そして私が乗船し、朝陽が昇る前の穏やかな波に迎えられて海岸沿いを日本海へ!
船は初めての私は、かなり興奮気味!
山の上から見る朝焼けはいつ見てもとてもステキで感動的ですが、日本海の水平線から昇る朝陽が、静かに揺らめく波に映ってキラキラ輝く様もそれはそれは素晴らしく、何も言葉は要らないくらい心の中がシーンとしていました。
海での夜明けを迎えた後もボートは海岸線に沿って走り、途中白鳥山や犬ヶ岳の姿を確認しながら、森下さんの写真撮影のため場所を親不知・天険の急峻な絶壁の下へと移動。
今は海沿いを走る国道が整備され、高速道路が山の中を横に貫け、いずれは北陸新幹線も通る予定ですが、日本海から見あげて見ると、海抜0メートルのホンの数メートル上から樹木が鬱蒼と生い茂り、国道を横切る親不知には「栂海新道」の入口、そしてその向こうには脈々と連なる尾根がアルプスの山並みへと続いていることがはっきりと確認できました。
森下さんも私も、皆さんのご厚意に恵まれて思いがけないチャンスで、「山と海」との接点、アルプスに繋がる山並みを海の上から仰ぎ見ることができて本当に幸運でした。
『アルプスと日本海を繋ぐ』…いろいろな意味で、その重要な位置に建てられている朝日小屋の責任者としての自覚を改めて感じるとともに、ロマンの原点を胸に刻んだ日となりました。
この記事の URL : http://asahigoya.net/diary/2003/05/d20030530a.html